No.297
かがい
みえこさん
童話作家
夢をあきらめずに歩み続けた日々。
童話好きの少女から童話作家への道
文・写真 島田浩美
尊敬する恩師と出会い、幼児教育の素晴らしさに目覚めた学生時代
短くやさしい言葉で人々の豊かな想像力を掻き立てる童話。ユニークな文体や寓意表現を含む作品も多くあり、子どもも大人も楽しめる魅力があります。そんな童話を作り上げているのが、長野市出身で上田市在住の童話作家、かがいみえこさんです。
もともと幼少の頃から童話に興味を持っていたかがいさんは、中学生の時にはすでに毎日1話の作品を書いていたと言います。高校では文学班に所属して班長を務め、童話作品の文芸誌を創作。卒業後は「男女平等で働ける仕事は教育界以外にない」という信念を持つ教員の父の教えのもと教育系の進路を選択しましたが、都会への憧れもあって受験した第一志望の大学が不合格となり、両親の意向も踏まえて地元の上田女子短期大学の幼児教育学科に進学しました。つまり、不満や不安が入り混じった気持ちでのキャンパスライフのスタートだったのです。しかし、ひとりの教授との出会いが、そんなかがいさんの学生生活に大きな希望を与えました。
「当時の短大は設立して間もないこともあり、教官は他大学を退官した老教授と新卒の若い講師が中心でした。そのなかに、島根大学教育学部を退官後に上田女子短大に着任した溝上泰子教授がいたのです。授業のたびに自宅がある神奈川県川崎市から電車で通っていた個性が強い先生で、『生きる』とはどういうことかをテーマにした哲学的な講義は私の胸に強く響き、ここで頑張ろうという気持ちが沸き起こりました」
上田市塩田平にある上田女子短大の校舎。レンガを使ったヨーロピアンスタイルで、現在は幼児教育学科と総合文化学科を設置している
また、保育実習で初めて子どもたちと接したかがいさんは、あまりの可愛さに幼児教育の魅力に目覚めたとも言います。
「子どもは嫌いではなかったのですが、小さい子どもが周囲にいなかったので苦手だと思っていました。でも、実習で子どもたちから生き生きとした生命力を感じ、これはものすごくやりがいがある分野ではないかと実感したんです」
こうして短大を卒業したかがいさんは、横浜市の幼稚園に就職。幼稚園教諭として人生初の都会暮らしが始まりました。
働きながらも童話執筆の腕を磨く日々
就職先として都会を選んだ理由のひとつは、働きながら児童文学を勉強できるからです。短大在学中も通信教育で童話の添削指導を受けていたかがいさんは、まだどこかに童話との接点があるのではないかという気持ちを持ち続け、渋谷区に日本児童文学者協会が土曜日の午後だけ半年間開校している社会人向けの学校があるのを発見。横浜の幼稚園で働きながらその学校に通い、技術指導を受けて仲間とともに同人誌も作りました。
また、川崎市の溝上教授宅を訪ね、教授を囲む何人かの社会人と学生時代の友人を絡め、仲間内の新聞を発行。仕事面でも幼稚園教諭としてやりがいがある日々を過ごしていました。
「実際に幼稚園教諭になると、子どもたちはたくさんの才能を持っていることがわかりましたし、この仕事は音楽や美術、体育の技術力のほかに自然や看護の知識も必要で、人間力がないとできないとわかって、それゆえにおもしろかったですね。それに1日1日と成長していく子どもたちへの責任と、その姿を見る喜びを感じたこともよかったです」
先月11月に発売されたばかりの『赤松は忘れない』(語り継ぐ戦争絵本シリーズ)は戦後70年の節目として松本市の郷土出版社から出版された。上田市塩田平にある松をモデルにした話で「地域のものを題材にすると周囲の人が喜んで『もっと書いて』と言ってくれるのがまた励みになる」とかがいさん
そんな2年間が過ぎた頃、母校の短大に附属幼稚園が新設されることになり、教諭として招かれたことと実家の母親の病気が判明したことで帰郷。附属幼稚園に勤めながら「地元でも同人誌を制作したら腕が磨ける」と思ったことから執筆仲間を探すうちに、ひとりの園児の叔父が上田市在住の童話作家だとわかりました。その縁で伊那出身の児童文学者・代田昇氏が指導をする「信濃子どもの本創作研究会」に入会。年に4回、合評会で代田氏の指導を受けながら、結婚や出産、幼稚園の退職等を経ながらも、のべ25年間代田氏に師事し、年2回の同人誌を発行して技術を高めました。
そして1996年の共著出版を経て、2003年に初の単独執筆による『ピッカリコようちえんとドングリ林の12か月』を出版。この話は附属幼稚園の園児と裏山にあった「ドングリ林」をモデルにし、「森には何かいる」という感覚から生まれたファンタジーで、長野市の出版社・オフィスエムから発刊しました。
「この作品は子どもたちが自然のなかで遊びながら夢を膨らませていくところを5~6年かけて描いた12の物語です。これは『絶対に本にするんだ』という強い気持ちがあったので、出版社を自分で開拓し、作品を持ち込んで掛け合いました。出版が決まるまでにさらに1年かかりましたが、夢やビジョンを持つことは大事だと実感しています」
その後はインターネットのコンクールや信濃毎日新聞社の投稿企画での受賞などを励みにしながら執筆活動を続け、現在までに9作品(改訂版含む)が出版されています。
上田女子短大附属幼稚園の勤務経験から構想を練った『ピッカリコようちえんとドングリ林の12か月』。子どもたちと里山の自然をめぐる1年間の物語で、2004年に初版が発行され2011年に改訂版が出版された
「お話魔女」と講師、ふたつの顔からも童話の魅力を発信
執筆活動に加え、2007年からは地域で童話の読み聞かせ活動も行っているかがいさん。「お話魔女」の格好で行うボランティア活動で、これまでには地域の祭りや児童館等でのイベントのほか、福祉施設や書店、カフェなどでも実施し、137回を数えました。
「幼稚園に勤めていた時は、どんな子も読み聞かせが始まると騒がしいのをピタッと止めて集まり、キラキラした無垢な目で見つめてきて、その時間が大好きでした。それに、子どもたちと時間を共有し、伝えたいものが伝わっている感覚もありました。だから、自分の作品も生の声で伝えたい思いもあって読み聞かせ活動を始めたんです」
人とのつながりが広がり、多くの人と出会えることもこの活動のおもしろさ。親子で話を聞きに訪れ、感激する大人も少なくないそうです。
年間15回~20回ほど開催している「お話魔女」による読み聞かせのボランティア活動。「子どもと自然を守りたい」という思いを作品に込め、活動を続けている
また、かがいさんは今年の4月から母校の上田女子短大で非常勤講師として児童文学も教えています。
「人間の根本を扱う児童文学は、生きていく基本に関わる無垢な魂を表現する文学です。私がこの世界から抜けられないのは、生きる力に関わり、大人にとっても意味がある児童文学の魅力を知ってしまったから。将来、親になるであろう学生たちには、私の授業を通じて子どもの心や魂の在り処に興味をもつ目を養ってほしいですね。それはきっと生きていくうえで必要になり、役立つことだと思うのです」
特に今年から教壇に立ったことで「今まで自分が培ったスキルを若い人に伝え、役立てることにはいくらでも力を貸したい」という思いが強くなったと言うかがいさん。個性を大切にしながらも、自分の夢を切り開いていくような授業を展開しています。
「子どもたちの目の輝きを見たら、読み聞かせはやめられません」と話すかがいさん
「人には必ず自分にしかないものがあり、自分にしか書けない作品があります。授業でも、表現の技術力以前に、そんな自分にしかないものを見つめて書いてみようと伝えています。それに、得意分野を見つけて極めていったらいつか必ず力になりますし、夢を持ったらとことん突き進んでほしい。うちの子どもたちも『お母さん、夢って叶うんだね』と言っていますから(笑)」
人には必ず自分にしかないものがあるー。よく考えると至極当然のことですが、なんだかハッとする言葉でもあります。その「自分らしさ」を追求したうえで大切なのは、夢や理想を描いたら努力すること。これまた当たり前のことだけれど、取材を通じてそんな原点に気づかされた思いがしました。
童話に馳せる夢と希望。それが出版につながり、教育分野から若者の未来を導いているかがいさん。夢を叶えるのは、いつも理想を高く持ち、努力し続ける人なのでしょう。
上田市の信州国際音楽村森の子文庫童夢の代表として、音楽村のお話し会イベントも開催している
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