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No.281

金田

晃典さん

曳家職人/有限会社金田工業所4代目

大切にしたいという「思い」も曳く
建物を動かす伝統技術の後継者

文・写真 安斎高志

建物によって毎回まるで違う

曳家(ひきや)とは、建造物をそのままの状態で移動する技術をいいます。枕木やワイヤーなどで建物を固定し、複数のジャッキなどで持ち上げ、ころやウインチなどを用いて人の手で引っ張る、というのがざっくりとした説明になりますが、実際に見たことがない人は想像するのがなかなか難しいかもしれません。

約10センチずつ持ち上げては、建物の状況を確かめながら、また少しずつジャッキで上げていくという繰り返しののち、横へ移動する際も、一日で動く距離は最大でも10メートルほど。動かすのは古い建物が多いため、傷めないように細心の注意が払われ、作業は建物と対話するようにゆっくりと進められます。

曳家職人の4代目、金田晃典さんは須坂市出身、長野市在住。23歳のときに家業に入って約20年が経ちました。長く父の勝良さんとともに現場に入り、技術を学んできましたが、2年前に勝良さんが体調を崩してからは、現場のすべてを取り仕切っています。

「曳家は、やってみなければわからないという、先が読めない部分があります。あまり計算ができるものではないので、あとは第六感だとか、経験からいろんなものが見えてくる。入ったばかりのころは、親父が言っていることがわからないから、よく食って掛かっていましたね。そのころ文句を言っていたことの答えが、最近やっとわかってきました(笑)」

ジャッキで少しずつ建物を持ち上げていく。この日の現場では9点で支え、3点ずつ同時に10センチずつ上昇させていった

有限会社金田工業所が動かす建物は、多い年で年間10棟に上ります。金田さんは20年のキャリアですから、相当数の経験をしてきたはずです。しかし、学ばなければならないことは尽きないと話します。

「建物によって毎回やるべきことはまるで違ってくるので、今、与えられた状況に100%で向き合うことが、次に出会った現場に役立つと信じるだけですね。ここで何を吸収するかということをいつも考えています」

金田さんによると、ジャッキを巻いたとき、みしみしと音がするときの方が安全で、実は音がしなくなった方が危険だそう。音や感触を確かめ、建物と相談しながら、慎重に事を進めていきます。

枕木を組み合わせ、建物に負担をかけずに持ち上げ、支える

「残らぬ美学」

今でこそ、作業着と頭に巻いたタオルがしっくりくる金田さんですが、実は高校卒業後はアパレルメーカーに入社し、東京で店長やエリアマネージャーを務めていました。入社直後からアメリカ・シカゴでの買い付け担当に抜擢され、2、3年目には数店舗を管轄するなど、とんとん拍子にステップアップしていったのですが、一方で金田さんの中の違和感は膨らんでいったそうです。

「職人家庭で生まれたから、自分はプレイヤーじゃないとしっくりこなかったんです。マネージャーのような仕事は違うんじゃないかと悩んでいて、同時に、何か人と違うことをしたいと考えていたときに、答えは実家の仕事じゃないかと思いました。それまであまり興味はなかったんですけど、いつか戻らないといけないとは思っていたし、いろんなことが重なりました」

実際に戻ってみると、あらためて家屋が持ち上がり、動くということに「単純な感動」があったといいます。

「移動し終わって、ワイヤーを全部外して何もなくなったら、僕ら関わった人しか、持ち上げて移動したなんてことは知らないわけです。『残らぬ美学』に満足感があります」

どういうわけか、金田さんのもとでは、音楽や絵画などアーティストが働くことが多いそうですが、金田さんはその「残らぬ美学」に共感するからではないかと話します。

手前の手巻きウインチで引っ張る。建物と枕木の間には金属製のころをかませる

建てた人たちの思いも乗せて

これまでで最も印象深いと振り返るのは、愛知県豊橋市で曳いた酒蔵の現場。古い酒蔵の材料を再利用した社長宅を280メートル移動させ、さらに6メートル持ち上げて、新しい工場の上に乗せました。すべて人の手で行われたとはにわかに信じがたい壮大さです。

動く距離や建物の規模だけでなく、時間との闘いもありました。同じ敷地内に結婚式場の建設が進んでいて、オープンを遅らせられなったのです。難しい仕事と分かってはいましたが、どうしても古い家屋を残したい、そして金田工業所にその仕事を頼みたいという熱意にほだされ、先代が引き受けました。

「移動するときは『思い』と『重い』を感じています。建物を建てるって、簡単にできないことですよね。お金があればできるわけでもないし、土地があればできるわけでもない。タイミングもある。そこにはお家の方や、作った大工さんたちの強い思いがあるんです。だから、移動させる僕らも毎回、それを感じながら動かしています」

ジャッキは先々代のころから使われているという。そのほか初代のころから使われ続けている道具も多数ある

大正時代に行われた長野市中央通りの拡張にともない、善光寺表参道に面する多くの建物を移動させ、そこから曳家の歴史が始まったという金田工業所。拠点としている蔵の街・須坂でもたくさんの歴史ある建物を動かしてきました。

「100年以上残ってきたものを、さらにこの先100年とか200年もたせるのがこの仕事です。今はこの技術を次の世代にいかに残していくか、そのためにも、建物からいかに学ぶかということが重要だと思っています」

数日にわけて撮影に伺った現場では、何日もかけて持ち上がった建物が、またゆっくりと時間をかけて新たな土台に着地し、次なる100年の歴史を刻み始めました。そこには、建物が浮いていたなどという痕跡は残っていませんが、筆者の心にはしっかりと「残らぬ美学」が刻まれたのでした。

奥様のブレンダさんは、ナガラボ特集vol.2で紹介。双子を含め4人のお子さんに恵まれた

(2015/10/29掲載)

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会える場所 有限会社金田工業所
長野県須坂市大字須坂春木町513
電話 026-245-0729
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