No.75
大岡ひなた福寿草まつり
ナガラボ編集部のマイフェイバリット
今ある伝統を守るために、新しい挑戦を。
文・写真 山本 麻綾
北アルプスを背に春を告げる、大岡ひなたの福寿草。
日向に咲きながら今まで日の目を見なかったこの黄色い小さな花は、いま大岡の新しい「伝統」になりつつあります。
今年で3回目となった「大岡ひなた福寿草まつり」への想いを伺いました。
地元の人も知らない“穴場”だった大岡ひなたの福寿草
集落名の「日方(ひなた)」にふさわしく、あたたかな日差しと抜群のロケーションが魅力。福寿草まつりが行われているのは、地元住民も知らなかった静かな穴場です。
「山の裏に生えている福寿草がきれいなんだ」
はじめに言い出したのは、現在大岡ひなた福寿草保存会の代表をしている待井吉久さん。2016年3月のことでした。
案内されて行ってみると、確かにきれいな福寿草が群生しています。周辺の人も呼んでまつりにすれば、地域にとって良い起爆剤になるのではと考えました。
まずは福寿草を増やそうと荒れていた雑記林を除草したり、株分けをしたり、地道な作業から。ほかにも道路に水仙を植え、荒れた田んぼを耕しました。
「まだまだ、やることはたくさんあるけどね。みんなには良いやりがいを挙げられているんじゃないかね」
3年前から続けている除草作業も半ば、お祭りとして広報に力を入れる必要だってあります。それでも当日せっせと働いたり笑いあったりしている住民たちを見て、待井さんは確かな手応えを感じているようでした。
昔から春分の日には伝統行事「せいぞうぼう」が行われていた
大岡では春分の日、子どもたちが作った藁人形を村の入り口に立て、一年の無病息災を祈る魔除けの行事が行われていました。
「せいぞうぼう(正造坊)」といいます。
その昔、子どもたちを疫病から守るため、村の入り口にわらで作った人面を置いたというのが始まりだと言われています。誰に聞いても「いつ始まったかは分からない」と。大岡の中でも一部だけで行われている、特殊な伝統行事です。
まず藁で人形を作る
木の枝にくくりつけ、顔を描いた半紙を巻く
村の端まで持っていき魔除けにする
藁人形を作り、思い思いに描いた絵を貼り付けて村の入り口に立てておきます。最近では子どもも減り、今年は大人たちで無病息災を願いました。
「福寿草まつりをきっかけに、よその子どもたちでも集落に遊びに来てくれたら万々歳。もともとは、子どものためのお祭りだからねえ」
と待井さん。
毎年ユニークなわら人形たち
2018年の大岡ひなたまつりはまさかの吹雪!
2018年3月21日、春分の日は全国的に大荒れ。当日は見事に吹雪に見舞われました。膨らみ始めた福寿草も、積もった雪に隠れて凍えているよう。
それでも小さなテントの中で地元の食材を販売したり、やしょうまを振る舞ったり。ほかの地区や市街地から来た子どもたちには、お菓子の詰め合わせをプレゼントするなど至れり尽くせり。
一通り振る舞いが終わったら、あとは地元の人たちで集まって打ち上げ。こんなゆるさも、“3回目”の強みなのかもしれません。
やしょうまや豚汁は地元の女性衆が腕を振るった
当日見物客に振る舞われた豚汁ややしょうまは、地元の女性衆が仕切ります。
大きな鍋に豚汁を作り、たくさんのおにぎりや漬物、煮物を添えて。
食べ終わりそうになると「豚汁のおかわりは?まだ食べるでしょ」と持ってきてくださいました。
吹雪の中でも、福寿草まつりはあたたかい。
やしょうま作りは、前日まで準備が行われていました。
やしょうまは、春のお彼岸を祝うために長野県北部を中心で作られている郷土食。やせうまの背中のようにでこぼこであることから「やせうま」が「やしょうま」になったといわれていますが、本当かどうかは分かりません。
一部の地域では、ブッダのお弟子・ヤショさんが作り、ブッダが「ヤショ、うま!」と絶賛したからだとも言われているようです。
新しいものは作れなくても、今あるものを守る方法なら作れる
新しいものを作ることには、難色を示す人も多い。けれど今ある伝統を守る取り組みならば、抵抗なく受け入れてもらいやすいことが分かりました。
伝統を守るために新しい挑戦をする。それはもしかしたら、一から別のことを始めるよりも難しいのかもしれません。けれどその挑戦はやがて、またひとつの「伝統」を生み出すことになるのです。
今年は見頃を外した「大岡ひなた福寿草まつり」ですが、その1週間後には土手一面に綺麗な花を咲かせていました。歴史と伝統と挑戦が垣間見られる、大岡の福寿草をぜひ一度見にいらしてください。