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ナガラボはながのシティプロモーションの一環です

No.69

長野市立青木島小学校

ナガラボ地元編集塾卒業生のマイフェイバリット

ノスタルジック散歩のすすめ~青木島小学校までの通学路~

文・写真 前田ゆかり

そうだ、通学路を探検してみよう。
 
今回はナガラボの記事ということなので、
私の長野での幼少時代の思い出の地を巡ってみた。

<序章>

青木島へ行くのは、実は小学3年のときに他市へ引っ越して以来。現在は首都圏に在住のため、新宿から長野駅行きの高速バスに乗って行くことに。
 
最寄りのバス停は「丹波島橋南」で、そこで途中下車するとちょうどいいことが分かった。
 
バスタ新宿から乗車し、練馬あたりを通過して、高速道路へ。
 
高速バスは順調に各停留所へ到着。

さて、バス停を降りてみると、なんと、そこがまさに通学路なのだった!
 
 
「長野市青木島」と書かれた歩道橋、オレンジ屋根の店……。
 
めくるめくノスタルジー。
 
まさかの、いきなり始まってしまった。

懐かしのランドマーク、元・松電ストアの交差点、そして歩道橋

なんとなく歩道橋を渡ってみたり

たしかこっちが通学路

しかし、幼少の頃は『松電ストア』だったオレンジ屋根の店舗は中古CD/DVDショップとなり、お目当てのおやき屋さんは混雑していて座れず。
 
 
ちょっとしょんぼりしながら、通学路の起点である、住んでいたアパートへ。
 
と、振り返った途端に、見慣れた小道を発見。

「ここが……!」
 
 
親しんだ公園へ続く道であり、小学校の同級生の自宅もあり。ちょっとだけ回り道してアパートへ向かうことにした。
 
 

歩道橋を降りたところ。(左)子ども目線だとこんなかな。(右)大人目線

【ノスタルジックな収穫その1、公園】

青波公園です。
 
毎日のように遊んでいた比較的広大な公園は、ほぼそのままの形で存在していた!
 
シンボルの石の山と滑り台、ジャングルジム、雲梯のようなものもついたアスレチック。

当時は児童館もあって、そこでもかなり遊んだ思い出だが、今はその様子が見られなかった。土曜日だったからかな。

しかし、今大人の目で見ても遊具は充実しているし、広々としていて、いい公園だなあ!
 
同世代とみられる夫婦が子どもたちを連れて遊びに来ていて、ほのぼのとした時間が流れていた。

夏休み中はここで毎朝ラジオ体操もあり、地域ごとに列にならんで、ハンコをもらっていた。
 
「丹5A」。これが所属するエリア名だったが、後述するアパートのA棟という意味だった。
 
 
丹波島でいくつものエリアがあり、アパートだけでチーム分けされるくらい、子どもの数が多かった。今はどうなんだろう。

ちなみにこの「青波公園」、あおば公園なのか、あおなみ公園なのか、読み方で兄との間で論争が起こっていた。
 
当時はなかったインターネットを使えば一発で分かるかと思いきや、なんと撃沈。
 
 
長野市のホームページに漢字での記載はあるものの、読み仮名はなし。「青波公園 よみ」で検索するも、めぼしい結果にたどり着けず。
 
 
公園緑地課さんに電話すればきっとすぐ分かる話ではあるが、ここはインターネットの力を使って解決してみたい!
 
もしご存じの方、いらっしゃいましたら、ナガラボまでご連絡ください!

【ノスタルジックな収穫その2、アパート】

 
実は、ちょっと前に長男にゲーム機をねだられた際、「お母さんの家にはゲーム機はなかったよ。代わりに外でお友達と毎日遊んでいたよ」と言ったことがあった。
 
そう、アパート住まいは手狭だけれど、一歩家の外に出れば同世代の友達がいて、いつでも一緒に遊べた。それこそ、鬼ごっことか、ゴムとびとか。

今訪れてみると、建物自体は、驚いたことにまったく変わっていなかった!
 
ファミリー向けのアパート2棟(A棟・B棟)と、独身寮の1棟があり、子どもたちに馴染みの少ない独身寮のことをふざけて「C棟」と呼んだりもしていた。
 
その3棟が記憶のままに存在しており、新しくも古くもなっていなかった。本当は、住んでいた頃はもっと新しかったのかもしれない。もしくは、ちょっとした改装があったのかもしれない。
 
しかし今現在ボロボロでも真新しくもなく、今の世代にそのまま受け継がれていることに、なんだか安堵した。
 
記憶にあったジャングルジムや砂場も健在。でも、あれ? もしかして、滑り台がなくなってるー⁉︎

数少ない思い出の一つに、滑り台を舞台にした、アパート内の小学生チームの大げんかがあった。
 
雪が積もった休みの日に、みんなで滑り台のくぼみに雪を詰めて遊んでいた。近くに小さなかまくらも作っていたと思う。
 
翌日、誰かが勝手に壊したとかなんとかで、普段から頼りにしていた高学年のお姉さんが顔を真っ赤にして、泣きながら怒っていた。私たちはそれに加勢し、男子チームとやりあった。
 
そんな滑り台が、なくなっていた。
 
 
うん。そう、なくなっていた。それだけ。
それだけなんだけど……
 
それってつまり、その出来事は記憶の中にしかないんだ、その舞台がないんだ。そう思うだけで、結構さみしくもなるもの。
 
ノスタルジーを気取る散歩が、本当にノスタルジック散歩らしくなってきた。
 
 
 

<通学路>

 
さて、ようやくアパートを出発!!
 
通学路をたどってみた。
 
朝は登校班があり、数人のグループで一緒に登校していた。
記憶によると、子どもの足で40分もかかっていた。今歩いたらどのくらいのものだろうか。
 
例の歩道橋まで行って、その先、こっちのほうだったよな……と歩き続けるが
 
ふとスマホのGoogle Mapsに目をやると、なんと……
 
 
道を間違えていた。
 
 
危ない。
 
気を取り直して歩き続けるが、それでもいっこうに「記憶がない」。登校班だったから周りのみんなに気を取られて風景を見ていなかったのか、なんなのか。
 
そうこうしているうちに、小学校に到着してしまった。ノスタルジック散歩、大失敗。
 
記憶は新しいうちに!(とくに私と同じ、方向音痴な方)

りんごの看板が長野らしいと思うものの、とくに記憶があるわけではない

何の変哲もない、長野っぽい道。

着いちゃった

<長野市立青木島小学校>

 
さて、小学校へ。懐かしい何かは見つかるのか?
 
 
土曜日だったので、静かな校舎。
けっこう大規模校なのかな?と思っていたけど、やはり立派です!

・昇降口、校舎の全体的な感じ(そうそう、こんな感じ!)
・渡り廊下、プールの入口のあたり(ああ~~~!こんなだった!!)

渡り廊下

体育館の横を通って、プールへ行くんだね

ある意味フォトジェニックな色と形。これ、なーんだ?

答え:一輪車などが通れる、渡り廊下でした〜

懐かしい何かは、このくらいでした。中に入ったら何かあるかもしれないけど、低学年くらいの認識では、この程度のノスタルジーが限度。
 
 
「小学校へ行こう!」というこの企画、ちょっと中途半端だったかなぁ。

【ノスタルジックな収穫その3、おやき屋さん】

さて、気を取り直して、当時よく食べていたソウルフード、『おやきの店 ほり川』でおやきを食べるぞ!
 
 
バス停へ戻る途中で、「お席が用意できました」と電話があった。
実は、さっき満席だったので空いたら連絡をもらえるよう電話番号を伝えてあった。
 
よーし。次の用事(ナガラボ地元編集塾)の時間まで、おやきでほっこり、腹ごしらえだ。

以前は買うだけのお店だったと思うけれど、今はイートインもできる、そしてカフェメニューまである素敵なお店に、なんともワンダホーな進化を遂げている。

昔ながらのしっとり、ねっとり、油っぽい(褒めてます)おやきも食べたかったが、新メニューの「石のフライパンで焼いたカリカリおやき」というのを試してみた。

見て!
このホクホク感。
 
土日限定のスイートポテト!!
これはやばい!
 
バターの風味と焼き芋の程よい甘さ、かりっとした温かい生地と相まってすばらしいの一言。
 
味噌汁がまた……素朴でおいしいのなんの。
おやき2品と味噌汁できっちりお昼ごはんとしてお腹いっぱいに。
 
欲張ってパフェまで頼んだもんだから、バスの時間がギリギリになり……
歩道橋をゼェー、ハァー、渡りながら20分に一本の路線バスを見送ってしまい、結局タクシーでその日の講座会場へ行くはめに。
 
「おいしいもの食べられて良かったじゃないですか!」となぐさめつつ送ってくれた平和観光タクシーさん。お財布的には痛かったけど、おかげで間に合った(バス停のすぐ横に営業所があって助かった!)。
 
 
ちょっと長くなってしまったが、
 
 
<結論>
変わったことは、元・松電ストア以外、自分の記憶がおぼろげすぎて分からず。
 
ノスタルジック散歩は、お早めに!!
 
みなさまも自分の記憶があるうちに&建物や店などがなくならないうちに、
行ってみることをおすすめします。

(2018/02/23掲載)

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