No.66
鬼女紅葉伝説
ナガラボ地元編集塾 卒業生のマイフェイバリット
伝説の息づかいを感じよう
文・写真 信州さーもん
かつてこの地には鬼女がいた。
長野市の山奥には、そんな伝説が息づいています。
伝説は史実ではないかもしれない。
けれどその土地に足を踏み入れてみると、たしかにその息づかいを感じることができます。
今回は、戸隠・鬼無里に伝わる『鬼女紅葉伝説』の舞台をたどります。
鬼無里の松巖寺にある「貴女紅葉」のパネル
信濃に伝わる「鬼女紅葉伝説」。
平安時代、都で帝の寵愛を受けた少女・紅葉(もみじ)は、美しく聡明な琴の名人。しかし正室を呪い殺そうとした罪に問われ、信濃・戸隠に山流しされてしまいました。
やがて鬼女となった紅葉は、都から派遣された平維茂(たいらのこれもち)に討伐されます。
都で「鬼女」と恐れられた紅葉。しかし鬼無里では「貴女」として、今でも多くの人々に愛され続けているのです。
紅葉のノスタルジアを感じる
鬼無里西京。「春日神社」紅葉が都を懐かしんでつけた
鬼無里に、「春日神社」「加茂神社」「西京」「東京」「二条」「三条」などの京名が残されている不思議。
春日神社
遠い都を懐かしんでいた紅葉の豊かな感性や、望郷の念を感じます。
東京(ひがしきょう)には加茂神社も
「遷都伝説」では、天武天皇の時代に遷都計画の検分にきていた三野王(みぬのおう)が命名したといわれています。神社の説明書きにもそのように記してあり、こちらが史実として伝えられています。
「鬼女紅葉伝説」とともに鬼無里に伝わる「遷都伝説」を知っておくと、同じ場所でふたつの伝説が同時に存在する量子力学のような感覚を味わえますよ。
山流しされた紅葉が暮らした内裏屋敷を訪ねる
紅葉が暮らした内裏屋敷跡
紅葉は鬼無里に流された後、この地で帝の子を産み、人々に京の文化や知識を教えながら暮らします。鬼無里の人々は、紅葉を「生き神さま」「貴人」として敬いました。
平維茂が矢を放った「矢本神社」と矢が刺さった「矢先八幡」
平維茂が紅葉を討つために矢を放った「矢本神社」
平維茂は紅葉討伐の折ここに立ち寄り、敵を見すえて矢を放ちました。
裾花川を麓に荒倉山まで一直線。
ここに立つと、平維茂が戸隠の敵を見つけるためにこの地を選んだ理由がわかる気がします。
平維茂の放った矢が刺さった「矢先八幡(柵神社)」戸隠栃原
矢が刺さったのはここ、矢先八幡。
矢の飛距離は人間業と思えませんが、そんなところにも伝説らしさが感じられますね。
紅葉が晩年を過ごした岩屋
紅葉が最期にかくれ住んだ岩穴。「紅葉(鬼)の岩屋」とよばれる(戸隠)
かつて都で大出世を果たし帝の寵姫にもなった紅葉の最期は、戸隠山奥の岩屋でした。
鬼(紅葉)の岩屋
貴女と敬われた鬼無里とは違い、戸隠では平維茂が美女に化けた鬼を退治する伝説が残されています。
戸隠と鬼無里では、少しずつ物語の伝えられ方が異なっています。伝え話す人の心情やその地域の背景によって変化するのも、伝説の醍醐味というもの。
紅葉のお墓をめぐる
平維茂が紅葉の首を埋めた戸隠栃原の「鬼の塚」
鬼女といわれ、都で恐れられた紅葉のお墓は、意外にもたくさんあります。
戸隠栃原にある「大昌寺」は、紅葉と平維茂の菩提寺
平維茂が討った紅葉の首を埋めて祀ったとされる戸隠栃原の「鬼の塚」や、紅葉の菩提寺「大昌寺」。
鬼無里にも同じく菩提寺の「松巖寺」があります。
紅葉の墓や遺品が残る松巖寺
鬼無里にある「松巖寺」は紅葉の菩提寺
伝説のしめくくりは、鬼無里の中心部に位置する松巖寺。
紅葉の墓
紅葉の墓には、住職の清水總明さんが毎朝火を灯しています。
平維茂が紅葉を斬った刀(現在は別の場所に安置されている)
紅葉を「鬼女」ではなく「貴女」と呼び始めたのは、清水住職なのだそう。同じく清水住職発案、松巖寺で毎年10月に行われる「鬼女もみじ祭り」は今年で18回目になります。
紅葉伝説の絵巻には清水住職自ら説明書きをつけた
「鬼無里にはね、美人が多いんですよ。紅葉の血すじだからかな」
そう笑って話す清水住職の言葉から、確かに伝説の息づかいを感じました。