No.111
椒のスパイスカリー
ナガラボ編集部のマイ・フェイバリット
毎日食べたい、体が整う幸せな一皿
文・写真 石井妙子
長野市権堂。昭和から続く商店や映画館、新しいカフェ、夜になればネオンが灯る歓楽街と、雑多なにぎわいが同居する街です。メインの商店街を一本曲がったところに、喫茶店「椒(じゃお)」はあります。扉を開けると、ざらりとした土壁をランプの光が照らす小さな空間。繁華街にぽっかり浮かぶ洞窟のような店内は、不思議な安心感があります。
▲権堂のアーケード商店街を一本入った雑居ビルの1階
▲格子のドアと古材の看板が目印
胃に重くない元気が出るカレー
喫茶店を名乗りながら、看板メニューは南インド流のスパイスカレー。定番のチキンと日替わり2種類から選べます。「チキンカリー」はスパイスのいい香りがふわりと鼻に抜け、派手なスパイシーさというよりも胃に染み入るようなおいしさ。食べるほどに食欲が湧き、さらりと完食してしまいます。カレーなのにすっきりした食後感で、内側から元気が出てくる感覚があります。
「カレーは本能の食べ物だと思うんです。水を飲むことも忘れて夢中で食べて、気づいたらお皿が空っぽになっていて悲しくなるような(笑)。ご飯が進む料理ナンバーワンですよね」
カウンターの向こうでてきぱきと働きながら、店主の永田沙織さんはそう言って笑いました。
▲店名は永田さんが一番好きなスパイス、胡椒の「椒」の中国語読み。もう一つ、子どもの頃のあだ名「じゃおちゃん」も由来
名古屋の南インド料理店で修業したのち、間借り営業やイベント出店を経て2021年11月に椒をオープンした永田さん。意外にも、昔はカレーが嫌いだったそう。
「市販のルーで作る実家のカレーは小麦と油脂で胃がもたれて、小さい頃から苦手でした。大人になって名古屋でスパイスカレーを初めて食べて、『うまい!』と衝撃を受けたんですよ。家カレーとまったくの別物だったから。それがきっかけで、その店を経営する会社に入社しました」
▲有機的な土壁が心地いい。内装は長野市の美術家、小池雅久さんが手がけた。入店したらレジでオーダーして先に支払うシステム
暑い地域である南インドのカレーは、酸味やスパイスの辛さで食欲を誘うのが特徴。体を整える作用もあります。「店で出すカリーも、食べた後に重くないものを目指しています」。胃が弱い自身の体質にも合うカレーを研究し、塩は天日塩、油は酸化しにくい米油を使用。小麦粉とバターは使いません。毎日飽きずに食べられる、ヘルシーな一皿を作っています。
▲定番の「チキンカリー(980円)」はインドのおせんべい「パパド」つき。砕いて混ぜながら食べるとおいしい
スパイスの個性が際立つからおもしろい
本場インド流のカレーというと多彩なスパイスを駆使して味を作るイメージがありますが、「南インドカレーには、たくさんのスパイスを使わないものもあるんです」と永田さん。
「日本のカレールーはスパイス36種類だとか、数多くブレンドする傾向があります。和を大切にする感覚なのですかね、何が入っているか分からなくなるぐらい味が丸くまとまっている。対照的に南インドカレーで使うスパイスは少なくて、3種類で作るものもあるくらい。そのぶんスパイスの個性が生きているから、私は好きなんです。何を食べているかはっきり分かる、シンプルな料理が好きだから」
ゆえに椒で使うスパイスの種類は少なめ。スパイス3種類だけのカレーもよく作るそう。一方で、定番の「チキンカリー」は店で一番多い13種類のスパイスを使っています。スパイスカレーの入口として、誰もがおいしく食べられる味を目指しているから。「そこは、日本のカレー寄りかもしれません」。
▲キッチンには厳選したスパイスが並ぶ。カルダモンをたっぷり使ったチャイも人気
日替わりカリーは発明的に生まれる
欧風カレーのように、煮込んだり寝かせたりしないのが南インド流。日替わりカリーは可能な限り、その日に提供する分だけ新しい味を作ります。
「暑い土地の料理だから、30分ぐらいでサッと作ってすぐ食べるのがおいしい。手間がかかっていると思われるんですが、意外とスピーディーに作っています」
▲椅子は無垢材と鉄を組み合わせて小池さんがオリジナルで制作
日替わりカレーのヒントは旬の素材。春は「ホタルイカのカリー」、夏は「アジのミーンコランブ(酸っぱ辛いカリー)」、冬は「牡蠣のレモンココナツカリー」と素材選びはびっくりするほど自由で、どれもばつぐんのおいしさです。
動物性素材を使わない、ヴィーガンの人も食べられるベジカリーも日替わりで用意しています。この日は「長ネギとえのきのカリー」を提供。不思議な組み合わせですが、とろり、しゃきしゃきと食感が楽しく、酸味のあるスパイスで体が温まります。どこか和食のような安心感も。
▲2種あいがけ(+200円)も大人気。写真は「チキンカリー」と「長ネギとえのきのカリー」のあいがけ
「日替わりカレーはその日の朝に決めています。長ネギとエノキは、たまたま人にいただいたから。買い出しに行った先で、旬の食材を見て決めることも多いですね。
創作カレーも作るんですが、作ってみたら想像と違った、どうしよう!ということもあって。そんな時は、すごい勢いで修正します(笑)。その過程がけっこう楽しい。想定以上においしくなったりして、もはや発明ですね。私飽き性なんですけど、スパイスカレーだけはスリリングで飽きないです」
▲土、流木、古材、コンクリートと多様な素材が混じり合うインテリア
長野で「喫茶店」を始めた理由
永田さんは鳥取生まれ。これまで山口や岐阜でも暮らし、2021年、喫茶店を始めるために長野へ移住しました。なぜ、初めて住む長野を新天地に選んだのですか?と尋ねると、「一番の理由は、湿度がちょうど良かったことかな」と意外な言葉。
「長野に来たら空気がすごく気持ち良くて、呼吸しやすかったんですよ。空気が合うって健康になれそうだし、自分と相性がいい場所なんだと思う。以前は酒蔵で働いていたんですが、発酵食品は湿度が高すぎると良くないんです。菌も含めて、ここは生き物が健全に暮らせる場所だという気がしました。善光寺の存在も大きいのかな。宗派も性別も問わないウェルカムな空気が、街全体に流れている気がします」
▲「かわいいんです」と永田さん一押しのトイレ。こちらも土壁でリラックスできる
カレー専門店ではなく「喫茶店」と名乗り、コーヒー、チャイ、デザート、さらに昼飲みも楽しめる。そんな懐の深さが椒の持ち味です。
「喫茶店には食事もコーヒーもビールも、なんでもあるでしょう。それがいいなと思って。ランチタイムなしで4時まで開けているから、この辺でランチ難民が流れ着くのはうちかブラジルさん(※権堂商店街にある喫茶店)か。カレー屋にしか見えないですけど(笑)、お茶だけでも気軽に飲みに来てくれたら嬉しいです」
▲昭和の佇まいの「プリン(生クリームとさくらんぼのトッピング付きで450円)」は硬め食感でほろ苦い。珈琲(450円)だけの利用も歓迎
▲小麦粉とバターを使わない季節のスパイスケーキ。この日は「紅玉りんごとシナモンのケーキ(450円)」
お客さんは性別も年齢も様々。カウンターの居心地の良さもあってか、お一人様も多いそう。
「日曜なんかは、一人で昼飲みにきてくれる女性も多いです。もっと色々な人に飲みに来てほしい。私もお酒、好きなので(笑)」
▲左は自然酵母で瓶内熟成させた岡山・koti brewery(コチブルワリー)のビール(1,500円)。右はカレーに合う酸味の強い熟成ベルギービール「ドゥシャス・ド・ブルゴーニュ(650円)」。ほかにカルダモン焼酎も
▲「カレーより人気かも」というほどファンが多い「たっぷりチャイ(580円)」
映画、お酒、他ジャンルの料理。新しい世界の入り口に
映画や本を愛する永田さん。文化的な街だと感じたことも長野市を選んだ理由でした。この場所に店を構えたのも、近くに100年以上の歴史を持つ木造映画館「長野相生座・ロキシー」があることが理由の一つ。
「映画館の近くでお店を始めたかったんです。閉店後に映画を観に行くことも多いですね。長野グランドシネマズもよく行きます」
▲店内には映画コーナーも
カウンターの隣には、永田さんおすすめの映画のフライヤーやパンフレット、長野相生座・ロキシーのリーフレットを置いています。
「パンフレットを手に取ったお客さんに話しかけたら『さっき観てきたんです』と返ってくることもあって。お客さんと映画の話は割としますね。
長野相生座でアルバイトしている子たちと一緒に“権堂映画倶楽部”というサークルを立ち上げて、映画にまつわるイベントを時々開催しています。この間は、ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』をテーマに自由に話すイベントを開きました。20代から60歳ぐらいまで幅広い世代のお客さんが集まってくれて、めちゃくちゃ盛り上がったんですよ」
気の合うゲストを招いて企画するコラボイベントも椒の名物。燗酒のスペシャリストによる「燗酒×スパイス料理」イベント、岐阜の先輩の料理人によるかき氷イベント、1日限定イタリアンバルなど、ジャンルも多彩です。
▲自由に手に取れる書籍コーナー。食や映画、民藝など、永田さんが好きなジャンルの本が並ぶ
▲柔らかな光をくれるランプは、長野市のガラス作家・前田一郎さんの作品
オープンから1年。コラボイベントや近隣のカフェやイベントへの「出張カリー」、コロナ禍の自粛期間にはテイクアウト弁当の企画と、フットワーク軽くカレーを作り続ける永田さん。「飽きずに働きたいんです」と話してくれました。
「お店を始めたのは南インドの食文化を広めようだとかきちんとした目的があったわけじゃなく、単純に色々な人に会いたいと思ったからなんです。夕方4時と早く店を閉めるのも、自分が疲れず続けられるペースだから。仕事の後に映画を観に行きたいし飲みにも行きたいし、考えごともしたい。遊び7割、仕事3割でやっています(笑)。コロナ禍ではあるけれどお店を始めてから毎日楽しいことばかりで、やめたいと思ったことは一度もないんですよ。我ながら自分本位だなと思うけど、楽しんで続けることで、まわりにも伝染していったらいいなと思います。
でも落ち着きたいわけじゃなくて、刺激もほしい。ヒリヒリしたいというか。毎日味を変えながらスパイスカレーを作り続けるのも、それを感じたいからかもしれません」
自分のサイズに合わせて、きちんと店を続けていく。楽しさの一方で、難しさも痛感する時代です。雑多な街の小さな空間で、頑張りすぎず、体を元気にしてくれる一皿を今日も永田さんは作っています。
<info>
椒(ジャオ)
<お問い合わせ>
長野市権堂町2320番地
インスタグラム https://www.instagram.com/jao_nagano/
営業時間 11:30~16:00(15:30L.O.)
定休日 水曜・木曜
テイクアウト可能