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長野市の一番南に位置する「アルプス一望の里」大岡地区。
一等三角点のある聖山(1447m)の山裾に広がる山間の集落。そこには昔ながらの農村文化や温かい人の営みが今も残る。そんな大岡地区に、長野市が運営する山村留学の受け入れ施設・大岡ひじり学園がある。スタートして22年、その間全国から来た400名の山村留学生たちがここで暮らし、そして巣立っていった。その修園生たちが卒園後も慕い続ける通称「青ちゃん」こと大岡ひじり学園長の青木高志さんに山村留学での自然教育の実践内容や地域との関係などについて話を聞いた。

―まずは、青木さんのプロフィールを教えてください。

松本生まれの東京育ちで、現在55歳です。小学生の頃は長期休暇のたびに長野県八坂村(現大町市)の様々な農家に行って、家族の一人としてずっと山村暮しをしてきました。いまでも八坂にはたくさんのオヤジさん、オフクロさんがおります(笑)。その後社会教育団体として自然体験活動を展開している公益財団法人「育てる会」の一員となり、新潟県松之山町(現十日町市)で指導者として山村留学に携わるようになりました。
松之山町には事業の立ち上げから10年間いましたが平成の大合併とともに閉鎖となり、その後22年間ずっとこの大岡でお世話になっています。大岡の山村留学に設立から関わって、現在は大岡ひじり学園の学園長をしています。また、運営母体である「育てる会」の常任理事という立場でもあります。

―山村留学とはどんな取り組みで、いつから始まったものなんですか。

山村留学は、都市部の小中学生が親元を離れて自然豊かな農山漁村で生活をし、その体験を通じてそれぞれの子どもたちが自らの個性や特性を見出し、自分自身の力で嬉々としてそれを育んでいくことを目的とした活動です。活動期間は通常1年間です。
子どもたちは、月の3分の2はこのひじり学園(交流センター)で生活し、3分の1は地域の農家に入ります。
学園生活では、春の代掻き・田植えにはじまり、夏のキャンプやヨット活動、秋の稲刈り・脱穀、収穫祭、冬はスキーなど、四季折々にさまざまな活動を展開していきます。
また、学園内の生活は集団寝食体験という位置づけで活動する一方、農家入りするとその家族の一員として農作業を手伝ったり、祭りなどの地域行事に参加したり農山村生活文化そのものを体験することになります。
 
始まったのは50年前。私の父であり、現在「育てる会」会長の青木孝安が故郷の長野県八坂村で取り組み始めたのが最初で、八坂村が山村留学発祥の地といわれます。私が小学校の夏休みや冬休みに八坂で生活した理由(わけ)はここにありまして、実は私自身が山村留学生の先駆けだったということです。山村留学は全国で280もの自治体が取り組んでいた時期もありましたが、平成の大合併で大きく減ってしまいました。現在では、およそ100か所程度だと思います。

―この大岡で山村留学が始まったキッカケは

いまから30年ほど前、その頃はまだ大岡村でしたが、当時の村長が八坂の山村留学を視察に来られました。それから10年の構想期間を経て、平成7年に「育てる会」に実地調査依頼がありました。それを受けて「育てる会」では、大岡にどんな「体験材」があるのか、行政や学校、地域の意向はどうか、施設の立地などについても事前に調査確認をしていきました。その上で、まずは短期の山村留学からはじめてみようということになり、平成8年度に数日間お試しで受入れる短期留学を実施しました。
当初はこの短期留学を2~3年実施しながら、地域への地ならしをしたうえで本格的な山村留学に移行していくことになっていました。でも、村としては「すぐにでもやりたい」ということになり、ほぼ行政がリードするかたちで翌平成9年度から今の山村留学がスタートしたのです。
ただ始まりはしたものの、必ずしも全て順調という訳にはいきませんでした。地域全体での理解が不十分だったこともあり、批判的な意見もかなりあったんです。特に、当時のPTAからは猛反発を受けました。
「なぜ都会から来る子どもたちに村の予算を使うんだ!」
「もっと地元の子を大事にしろ!」等々、
山村留学に対して批判的な言葉が飛び交う厳しい時期でした。それでも、学園としては地域に向けた収穫祭やバザーを開催するなどして、できるだけ地元のみなさんに理解され支持してもらえるよう地域との関係づくりを地道に積み上げてきましたし、子どもたちが年間120日お世話になる受入れ農家のみなさんのお力も大きかったと思います。それから22年、今では地域住民組織である大岡住民自治協議会に「学園を支援する会」も出来、学園の様々な取り組みには地域の多くのみなさんが参加してくれるようになって本当にありがたく思います。住民のみなさんの意識も当時からは相当変わったと実感しています。

―この学園は長野市が運営しているんですね。

運営主体は長野市教育委員会で、実際の教育指導は(公財)育てる会が委託を受けてやっています。施設の名称も市のHP上では「長野市大岡文化交流センター」ですが、我々は山村留学大岡ひじり学園と呼んでいます。

―都会から来る山村留学生たちは田舎でどんな生活をするんですか

まず、住民票を移して大岡の住民となり、1年間の活動をしていきます。冒頭でもお話ししましたが、1年のうち210日はこのセンター(ひじり学園)で集団生活をしながら様々な野外活動を行い、あとの120日は地元の受入れ農家で家族として生活し農村文化を体験します。学校は、地元の大岡小・中学校に通い、地元の子どもたちとともに勉学に励みます。夏休みなどの長期休みの期間はそれぞれの実家へ戻りますが、その際は公共機関を使って1人で往復するというのが原則です。
毎日のタイムスケジュールは、センターの場合5:40起床→6:10朝の集い(ラジオ体操)→朝食→7:00登校(出発)となり、就寝は小学生で9:30消灯、中学生の制限はありません。一方、農家入りの期間は各農家のルールに従います。

―学園生は何人いますか

学園の定員は15名。今年度は小学生が8名、中学生5名の計13名の子どもたちがここで学んでいます。

―大岡ひじり学園としての一番の特色はなんですか?

2~3人の少人数で農家体験が出来るというのが一番いいところだと思っています。施設によっては、農業体験そのものがなかったり、あったとしても大人数での体験であったりと、大岡のようにその家の息子や娘として農家入りできるところは他にありません。また、アルプスの風景に代表される素晴らしい自然環境や地域の応援、学校側の理解度が高いことなども強調したいところです。
それと、継続生がダントツに多いというのも大岡の特長です。山村留学は通常1年単位で終了しますが、本人の意思で継続することも可能です。大岡の場合、継続年数は平均で2.6~2.7年ですが、他団体が大体1.5~1.8年であるのと比べると格段に高い数字です。このことは、学園としての指導もさることながら、この大岡が子どもたちにとっての「安住の地」となって1年間充実した生活が出来ること、さらに来年はもっとこんなことをしたいという体験材が揃っている、つまり子どもたちを意欲的にする環境がある証(あかし)だと理解しています。

▲ 指導案は細かく体系化され、1年をかけて実践されていく。

―学園での活動についても教えてください。

全体の活動としては、「定時定点観測活動」というのをずっと続けています。これは地球上のある一点、同じ場所、同じ時間で1年間、五感を使って自然を体感する活動で、その時々の四季を感じてみるというプログラムです。学園にいる間は、毎日午前5:40に起床したあと「朝の集い」というメニューでラジオ体操とともにやっています。そこでは自然にまつわるいろいろな話もします。
それから活動とは違いますが、登下校の「道草」も大事にしています。「自分の足で歩く」これがすべての活動の基本です。話がそれていきますが、このセンターがこの立地にあるのもふさわしい場所を入念に事前調査してきたその結果です。決め手は‘いい道草’ができるかどうか。道草は子どもたちにとって体験材の宝庫です。私自身も大岡に赴任した一年目は大岡のいたるところにテントを張り、四季それぞれにどんな体験材があるのか自分の五感で確認していきました。センターのあるこの場所は、集落の中を歩き、山の中を歩き、学園の田んぼや畑を通り、雄大なアルプスを眺めながら学校に通える絶好のポイントです。単純にここにスペースがあったからこの学園が建設されたということではないんです。

―学園生たちは、登下校時にたくさん歩くようですね。

小学生と中学生では歩く距離が違います。小学生の場合だと、登校時はスクールバスのバス停まで片道3.2㎞、下校時もバス停から同じ3.2㎞を歩いて帰ってきます。中学生になると登校時は同じですが、下校時は学校からセンターまで約6㎞の道のりを歩いて戻ります。1日の歩行距離でいうと小学生が6.4㎞、中学生が10㎞。1年間では、ざっと小学生が約1,300㎞、中学生で約1,700㎞を歩く計算です。学園では、入園時の4月と活動が終わる翌年の3月に必ず各自の足形をとるんです。ここに今年の4月にとった足形がありますが、新規の子と継続生を比べてみてください。土踏まずの有無がはっきりとわかります。これは、はじめて山村留学に来た新規生たちの足形です。

▲ 左から小6、小5、小3。

つぎは、継続生たちの足形。

▲ 左から中3、中2、中2の継続生。

このように、前年まで歩き続けてきた継続生たちの足にはしっかりと土踏まずができています。留学の始めと終わりにとるこの足形は、目に見える一年間の活動の成果として、修園式で子どもたち一人ひとりに手渡すのが一つの習わしになっています。

▲ 桜の頃の登校風景。大岡で桜が咲くのは4月下旬から5月上旬。残雪のアルプスに雪形が現れるころ、各集落の田んぼには上部から順に水が張られ田植えの準備で忙しくなる。

―個人の活動として面白いものはありますか

それは人それぞれ。その子にとって面白いと思う体験を一年間深めやり遂げることが大事です。まあ、あえて今年の例をあげるとすれば、一人でツリーハウスを作り上げた子や、釣り好きが高じて敷地内に大きな穴を掘り始め釣り堀りをつくろうとしている子がいますね。彼は「来年は漁業組合をつくる」といまから意気込んでいます。

▲ 釘は一本も使わず、木を傷つけることもなく、幹の成長にあわせて自在に調整可能な工法で組み上げられている。ログビルダーでもある学園長にレクチャーを受けつつも、作業はすべて一人でこなしたという。(写真は学園提供)
▲ 一人の力でここまで掘り進んだ。果たして釣り堀は出来るのか? 将来、漁業協同組合をつくるのが夢。(写真は学園提供)

それから、これまでの修園生たちが残していった活動結果もいくつかありますよ。入口にある「なめし革」や、事務所の窓口にある「はく製」などは先輩の修園生たちが個人体験活動として製作したものです。

▲ 受入れ農家が動物を捌くことが出来たこともあり、この山村留学生はなめし革に挑戦した。山村留学生たちの下駄箱の横に静かに立てかけてある。
▲ はく製師に弟子入りして、見事なはく製をつくった山村留学生もいた。地域の人から死んだ小動物をもらい受け、それをはく製にした作品が事務所窓口に置かれている。今にも動き出しそうなくらいの完成度。

―修園生たちの進路は?

医者、弁護士、農業者、宮大工などみんな自分がやりたい道に進んでいるようです。長野県に戻ってきた子もいるし、海外に出る子も多くいます。海外青年協力隊としての活動が学校の教科書に掲載されたという子もいますね。修園生たちと話す機会もちょくちょくありますが、彼らはここに居た時間の濃さや、大岡には血が騒ぐ何かがあったとよく口にします。修園直後は、ここを出て都会に戻れば大岡での体験に替わる何かがあると思っているんですね。でも、いつまでたってもそれがない。修園生によっては、もの足りない生活から虚無感に苦しんだという子もいます。自分を満たすものとは一体何か。この学園にいる間は我々が個々の子どもたちに応じてアドバイスすることもできますが、修園後は自分で見つけるしかありません。でも、そのことに気づいた修園生たちは自分の夢に向かってもの凄い勢いで力を発揮していくように思います。その子なりの進路を自分で選択するようになるんですね。各自の進路はその結果です。
ただ、我々は進路先を売り物にすることはありません。進学した学校名や就職先を一覧にしても意味を持ちません。大事なのは、自分の道を自分で決めるようになるということだと思っています。

―話はかわりますが、青木さんにとって大岡とはどんな場所ですか。

ずばり、自分を育ててくれたところ、ですね。
自然や地域に住む人すべてから、本当に多くのことをここで教わってきましたし、助けてもらいました。学園の立場から言えば、子どもたちに対していろいろなアプローチを可能にしてくれたところ。それはもう感謝しかありません。
我々は「体験材」という言葉をよく口にしますが、これは子どもたちの体験の幅を広げる、あるいは深めるための要素の総体です。子どもたちが体験し学ぼうとする空間に存在する人や自然などすべてを含めて体験材なんです。
我々の考える自然教育は、単に山とか川とか森のことだけを想定しているのではありません。自然に寄り添いながら、自然と共に暮らす人の営みこそが自然教育の原点だと思っています。その意味で、大岡は本当に自然教育にふさわしい場所だと実感しています。

▲ 取材日に開催されていた短期留学の講座。冬休みを利用した4泊5日のこの体験キャンプには年長から中3まで50名の子どもたちが全国から参加していた。正月飾りのワークショップでは地元の住民が講師となり子どもたちに教えていた。ここで作った正月飾りは各自のおみやげとなった。

―最後に、青木さんは学園があるこの大岡の未来をどう見ていますか。

大岡の高齢化率は現在56%、日本の最先端をいく超高齢社会です。人の寿命が延びていくなかで、「いかに生きるか、どう生きるか」ということは、これからますます問われるようになるんじゃないかと思っています。生涯学習という言葉もありますが、私としてはこの大岡が「学びの楽しさを一生感じられる場」であって欲しいと思います。
もちろん机上の学びだけが学びではありません。自然から教わること、集落の歴史や地域の先達や移住者から教わること、いろいろあります。そのような学びを通じて人と人との交流が生まれ、その結果として郷土愛なども醸成されていくのだと思います。山村留学をやってきた私としては、地域の人々が当たり前と思っている日常の暮しのなかに多くの「教材」があることを知っています。幼児からお年寄りまで、あらゆる年代の人たちが能動的に学びを求めて生活し交流している空間、大岡がそんな場所になったらいいと思います。そして、大岡はそれができるところだ、と私は思っています。

―本日は年末のお忙しいところ、どうもありがとうございました。

大岡地区ではいま地域づくりの新たな試みが始まろうとしている。
大岡に残る山里の暮しと豊かな自然環境を生かしながら、親子山村留学の態勢を整えて親子移住を前提とした自然教育の実践地にしようとする動きだ。
その関連で、自然教育の先駆者たる青木学園長に人生初の‘取材’をお願いした。
一番聞きたかったのは「自然教育とは何なのか?」ということ。
学園長は、自然教育とは単に自然の体験だけをいうのではなく、自然と共生し暮らしてきた人々の営みのなかにその教育的要素があり、農山村文化の残る大岡にはその教育的材料がたくさんあるんだ、と教えてくれた。
自分自身の移住体験に照らしても、そのことは大いに合点がいった。
移住して10余年、大岡の自然に囲まれそこに住む人と交わるなかで物事の見方や考え方が変わったように思う。年かさが増えたこともあるかもしれないが、大岡に暮らしたことで影響を受けた部分が大きいように感じている。
青木学園長への取材は、自分が大岡に惹かれた理由を改めて思い起こす機会にもなった。
 
 
 
取材日:平成30年12月29~30日
取材場所:大岡ひじり学園(長野市大岡農村文化交流センター)

 
 
大岡ひじり学園(長野市大岡農村文化交流センター)
長野県長野市大岡中牧698-1
TEL 026-266-2037

Vol.5 Uchida
内田光一郎(長野市大岡在住)

ライタープロフィール九州生まれの、千葉育ち。22年のサラリーマン生活で東京・福岡・大阪と渡り歩く。ドロップアウトして長野市大岡へ移住してから14年、以来大岡の魅力にとりつかれ、気がつけばこの地が人生最長の居住地となった。
長野県林業士。大岡地区住民自治協議会事務局職員。

 

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