黒田ギター教室 主宰黒田亮介さん
東京都出身時間がある時は松代の「コトリの湯」でのんびりしたり、善光寺の周辺を散策したり。長野市内だけでも、自然と街歩きを両方楽しめます。新鮮な食材も多いので、おいしいお店も多いですね。
1982年東京都生まれ。幼い頃からクラシックギターを弾き始める。高校時代、多様な年代が集まるアマチュア合奏団で演奏した楽しさが原点となり、ギターを仕事にすることを決意。高校と並行して音楽専門学校の夜間コースに通う。高校卒業後、国際新堀芸術学院入学。ドイツ留学を経て洗足学園音楽大学大学院へ進学し、2012年修了。演奏活動を行いながら、2012年に川崎市で「黒田ギター教室」スタート。2017年、長野市の松代と若里で長野教室もスタートする。現在は神奈川と長野の2拠点で活動中。
移住までの道のり
1982 | 東京都生まれ |
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1999 | 音楽の専門学校に入学 |
2006 | ギターを学ぶためドイツに渡る |
2007 | 帰国後、神奈川・川崎市でギター教室を開講 |
2012 | 洗足学園音楽大学大学院修了 |
2017 | 長野市でギター教室を開講 |
黒田さんが普段拠点にしているのは、神奈川県川崎市。川崎の教室でも多くの生徒を教えつつ、週末を中心に月5日ほど長野市に滞在し教室を開講する2拠点生活を送っています。
「平日の夜まで川崎の教室で教えて、最終便で長野に移動することが多いです。忙しい日々ですが、長野と川崎では教室の雰囲気が全然違っていて。別の仕事をしているような感覚で、おもしろいんです。川崎は個人レッスンが中心で生徒さんとじっくり向き合うことが多いですが、長野の教室はグループレッスンが多く、和気あいあいとした雰囲気。教室で過ごすこと自体を楽しんでいる生徒さんが多いですね」
「城下町を学びの場に」松代の取り組みに共感
東京生まれ神奈川在住の黒田さんと松代の縁を引き寄せたのは、松代出身で一緒に教室を主宰するパートナーの小林竜子(りょうこ)さん。数年前に一緒に松代を旅した時、二人は「エコール・ド・松代」という活動を知り、興味を持ちます。これは松代に残る貴重な文化財の建物で趣味や生涯学習の教室を開き、「城下町丸ごとカルチャースクールにしよう」というユニークな取り組み。佐久間象山や松井須磨子など、多くの文化人を輩出した松代ならではの試みです。
「松代といえば佐久間象山、学びの地という印象がありました。街がそうした活動をしているなら、僕たちも松代でイベント的に教室を始めてみようと思って。長野市は首都圏からアクセスしやすいので、距離はあまり気になりませんでしたね」
2017年に不定期イベントとしてウクレレ教室を始めたところ、これが予想を超える大人気。「もっと続けてほしい」との声を受けて松代で教室を本格始動し、さらに「別のエリアでもやってほしい」とのリクエストから長野市若里でも教室をスタート。こうして、長野と川崎を行き来する生活が始まりました。
ウクレレやギターを気軽に始められる教室がそれまで長野市に少なかったこともありますが、黒田さんの丁寧で明るい指導が何よりの人気の理由。生徒は下は4歳、上は86歳と年齢も幅広く、長野だけで現在30名にものぼります。中には小布施町や高山村など遠方から通う人も。さらに高齢者施設のウクレレサークルでも講師を務めています。
「ウクレレは年齢に関係なく始めやすいし、覚えやすいのでギターに比べて曲を弾けるようになるまでが早いのが魅力です。自分の指先でニュアンスを表現できるのも楽しさですね。みなさん最初は手探り状態で始めるんですが、楽しくなって何年も続ける方が多いんです。『自分でもこんなに続くと思わなかった』と話す方も多いですね」
長野なら、きっと理想の教室を実現できる
長野で教室を開いて約3年、「こんなに地域とのつながりが深まると思っていませんでした」と黒田さん。新しいレッスン会場を探していた時も、地元の人の厚意ですぐに見つかったそう。2020年4月からは、松代の名所・象山神社の社務所に場所を移すことが決まっています。
「『歴史ある神社で楽器を弾いていいんですか!?』とびっくりしたんですが、宮司さんがとてもおおらかな方で『うるさくしてもいいよ』と(笑)。ありがたいですよね。
松代ではこうした歴史ある空間で演奏できるのが新鮮で、楽しいです。川崎や東京ではどうしても近隣への音漏れが気にするので、窓のない防音スタジオで弾くのが当たり前ですから」
さらに黒田さんが長野で感じているのが、生徒同士が年齢を越えて仲良くなり、独自のコミュニティが生まれるおもしろさ。発表会や川崎教室との合同合宿、バーベキュー大会など教室主催のイベントも後押しとなり、音楽を通じてつながりが生まれています。「練習後は、誰が言い出したわけでもなくみんなでお茶を飲みながらおしゃべりしたり。長野教室には、そうした独特の緩やかな雰囲気がありますね」と黒田さん。
「僕が高校時代に所属していたアマチュア合奏団は、学生から社会人まで幅広い年代の人が音楽という共通の趣味のもと、集まって音を楽しんでいました。あの体験があったから『ギターで食べて行こう』と思えたし、自分も『いつか音楽を通じてたくさんの人が一つになれる空間を作りたい』と思ってきました。長野教室は今、その理想にすごく近づいている気がします。それは僕たちが先導したわけではなく、集まった生徒さんや地域の人が叶えてくれたこと。今では長野での活動も生活も、僕の大切な一部になりました」
理想の音楽との関わり方に近づけてくれた長野の地。長野に拠点を移すことも考えたそうですが、やはり今はこの2拠点生活を大切にしたいと黒田さんは考えています。
「演奏活動の最先端はやはり東京にあるし、向こうにはこれまで自分が築いてきた活動もあります。今考えているのは、長野と東京の橋渡しのような役割をできないかということ。東京の生きた音楽を長野に持ってくる、そんなことができたらいいですね」