<"笑われる"のも好きだった>
お題を無視した大喜利や、ネタ中のハプニングなど、意外性のある芸人としてお茶の間の人気者となっている、長野市出身のお笑い芸人、もう中学生さん。その掴みどころのなさは、かのダウンタウン・松本人志さんやネプチューン・堀内健さんらを、しばしば脱帽させてきました。
しかし今回の取材で、丸一日ロケに同行し、その後のインタビューを通じて伝わってきたのは、テレビで見る天然キャラとは違って、真摯に、そしてきっちりと仕事に向き合う姿勢でした。
「子どものころから、"笑わせる"のも、"笑われる"のも好きでした。その場に笑いが起きればそれでいいという感じで。周りの空気を読む子どもだったので、スイッチも自動的に切り替えていました」
すっかりおなじみになった段ボールを使ったネタですが、始めた理由も実は戦略的な意図がありました。
「最初は漫才もやろうと思っていたんですけど、周りに面白い人がいっぱいいたから、すぐあきらめたんです。漫才でもコントでもなくて、自分だけのものを考えなくちゃということで、段ボール拾ってきて絵を描き始めました。それまで絵に興味もなかったですし、学校でも嫌がっていたくらいなんですよ(笑)」
意外性のある芸人の言葉は、もう一周してさらに意外性に富んでいました。
<小学生の頃の気持ちを忘れないように>
「もう中学生」という芸名は、小学校の文集のタイトルから採りました。お笑いをやりたいと思った小学生の頃の気持ちを忘れないようにという思いが込められています。
中学3年生の進路を決める際は、はっきりとお笑い芸人の道を進むことを先生に伝えたそうです。
「そのとき、先生には『知識がないとどんな仕事もできないから、高校は出ておけ』と言われました。人と違った仕事をするには何を学んだらいいかと考えて、農業高校を選びました」
その選択は芸人になった今でも生きていると話します。人気番組「アメトーーク!」に「農業高校芸人」として出演したり、農業関連のロケもあったりと、「農業枠」を埋められる数少ない芸人としても活躍しています。
高校在学中は、週末ごとに東京へ行き、お笑いライブのはしごをしていたという、もう中学生さん。卒業後、吉本興業のタレント養成所であるNSCに入ります。ここで前述のとおり、段ボールを使っての1人コントという独自の路線を歩み出しました。
20代でテレビのネタ番組で人気を集めるようになるなど、その芸人としての歩みは順風満帆に見えますが、さまざまな葛藤を抱えながら、ここまで来たと話します。
「辞めたいと思ったことは何度もありますね。実家に帰るたびに求人情報を見て、何歳超えたら就職はダメなのかなとか考えていました(笑)」
転機になったと振り返るのは、NSCを卒業して5年後の2007年5月に渋谷シアターDで開いた単独ライブ。
「自分を変えるためには、めっちゃ大変で、めっちゃ高い壁をつくるしかないと思って、2時間のライブを、音とか映像とか含めて全部、自分一人でつくって、一人きりでやったんです。自分でチケットも売りました」
テレビでのトークやレポートは「まだまだです」と頭をかきますが、ネタに関しては「自信を持って、見てほしいと言える」と胸を張れるのは、突き詰めた熱量のせいでしょう。
<永遠に「バカだよな」と
言われるようなことを>
テレビ出演が増えるにつれ、求められる枠に自分を当てはめるようになってしまっていたと話す、もう中学生さん。最近は、芸名のとおり初心を思い返し、ネタづくりに励んでいるといいます。
「今は、"お笑い貯金"をするときだって思っています。考えて、考えて、頭をフル回転させて、寝る時間も惜しんで、ネタをつくっています」
ネタ帳は、大学ノートに月1冊のペースで書き続けています。
「高校時代に落書きしていたような、純粋におもしろいと思っていたようなことを、これからも永遠に考えていきたいですね。これから40歳、50歳になっても。ネタも、いつまでも『バカだよな』って言われるようなものをつくっていきたいです」
実際にネタ帳を見せてもらいましたが、本当に突拍子もないことばかりが書かれていて、思わず「バカですねえ」と言いそうになりました。
「『なんだったんだあれ!』という"オモシロトラウマ"になるようなものができたらいいなと思っています。見た人の夢に出てきちゃうというくらいの基準で考えていますね。そういうネタを量産していきたいです」
笑われたり笑わせたりするのが大好きだった少年は、今も変わらず同じことを考えているあの頃と同じ「まだ高校生」でした。出身地である長野ではたびたびイベントに出演しています。テレビで見るのとはまた違う魅力を感じに、会場へ出かけてみてはいかがでしょう。
会える場所:信州三大市民祭り
2015年5月10日 午後1時30分~
長野市問御所町1307 セントラルスクゥエア