<戸隠竹細工の現状>
「若い人がもっと気軽に竹細工をやれればいいんですが」
こう話すのは、戸隠の伝統工芸である竹細工を継承しようとしている唯一の若手である曽根原功さんです。現在、実家のそば屋「岳」で働き、かつプロスキーヤーでもあります。
今年1月から竹細工職人でもある父、公夫(きみお)さんのもとで修業を積んでいます。
「うちの父親の代でも竹細工を作れるのは3人しかいないんですよ。その上の70代でも2、3人。この先のことを考えると戸隠の竹細工はどうなってしまうんだろうと不安ですね。だからこそ自分がまずは竹細工を継承しようと思いました」
竹細工の魅力についてはこう語ります。
「すべて自然のもので作っているというところが最大の魅力ですかね。そして江戸時代からの伝統を時代ごとに変化させながら受け継いできたという奥深さ。編んでいるときは楽しいし、出来たときは最高に嬉しい。とにかくもっと多くの人が気軽にやれればと思うんです。でも400年以上続いている伝統だけあって、そんなに簡単にはうまくいかないんですよ。特に竹を割る作業(竹割)。2メートル近くある細くて、曲がっている竹をナタで均等に割らないといけないんですが、なかなか上手に出来なくて。今でも完璧には切れません」
伝統工芸という世界に足を踏み入れた功さんですが、その奥深さを実感。そのため2か月近くも毎日、竹割の練習をしたといいます。
現在、「竹の子番」という戸隠の竹の子を3人1組で見張る集まりに参加している功さん。
「昔から戸隠の竹の子は取ってはいけないという暗黙のルールがあるんです。それを知らない人もいるので、有志でこうした取り組みをしています。ただ、初めて参加した時に驚いたのは、自分以外の2人は70代のおじいさんだったこと。竹の子を守る人間も高齢化しているんです」
高齢化、そして後継者不足の現状を嘆く曽根原さん。竹細工の伝統を守っていくうえで不安な要素は他にもあるようです。
「山に竹を取りに行ったら、大体2束(1束が約15キロ)の竹を背負って帰ってくるんですよ。しかも2メートルくらいのものを。膝は痛めるし、高齢者には厳しいですよ」
<大好きな戸隠のために>
曽根原さんは小学校から高校まではアルペンスキーの世界で活躍、そして20代になりフリースキーに転向し26歳でプロスキーヤーになります。その後、着実に実力をつけ2011年には世界選手権やワールドカップに参戦。オリンピックも目指し、世界を舞台に闘う日々を過ごしてきました。
「(北半球が)夏の時季はニュージーランド、冬はアメリカと、雪のある場所に10年近く住んでいました。たまに夏、日本に帰ってきましたが、すぐに海外に行くという生活でしたね」
順風満帆なスキー人生を歩んできた曽根原さん。しかし、今年の1月にトレーニング中の事故で足を骨折してしまいます。
「そろそろ競技スキーからの引退は考えていたので、いい機会だったのかもしれません」
こうして今年の1月から故郷の戸隠に戻り、ここで暮らすことを決めました。
「現役時代は冬の場所にしかいなかったので、四季を味わえるのが新鮮ですね。春は山菜を採って、夏はそば屋で働く。秋はキノコ狩りで、冬はスキーと竹細工。最高に幸せです。だからこそ、戸隠を盛り上げたいんです」
今後は、竹細工を戸隠の若い世代や子どもに知ってもらうために、戸隠夜祭り(11月1日、戸隠神社中社鳥居前広場で開催)というイベントも開くそうです。また、今シーズンから自身の育った戸隠ジュニアスキークラブにフリースキー部門を置き、将来のオリンピック選手を育てるという目標もでき、曽根原さんにとっての勝負の冬がやってきます。
<残してもらいたい文化>
竹細工職人として30年ものキャリアを持つ父、公夫さんは切実にこう訴えます。
「戸隠の中でも竹細工をやっているのは標高の高い中社地区だけ。お米を作れない中社地区が現金収入を得るために考えた生きる術だったんですよ。竹細工はなんとかして残してもらいたい文化です」
初めて聞く公夫さんの貴重な言葉を強く胸に受けとめた曽根原さん。最後に目標を聞かせてくれました。
「昔は農業に使うものを竹細工で作ってきましたが、これからは時代に合わせてパソコンケースやスマートフォンのケースを作っていきたい。これが竹細工が後世に残っていくカギになると思うんです。将来的には竹細工一本でやっていきたいです」
そば、スキー、そして竹細工と戸隠の文化をすべて背負った若き勇者が、これから高いジャンプ台に上がろうとしています。是非とも功さんがK点を超える瞬間を見てみたいと思いました。
会える場所:手打ちそば 岳
住所:長野県長野市戸隠大洞沢3694-1 戸隠キャンプ場内
電話番号:026-254-3254