<祖父、父が残した遺言>
長野市戸隠には「神告げ温泉」という名の秘湯があります。
ここの女将、宮沢辰子さんにその所以をお聞きしました。
辰子さんの夫である公一郎さんが現在、神告げ温泉の社長です。
その公一郎さんは2歳の頃に父を戦争で亡くし母親や祖父母に育てられ、特に祖父に可愛がられていました。
その祖父が亡くなる前に遺した言葉が後の宮沢家の運命を変えたと辰子さんは言います。
「『夢で東方を掘れば温泉が出ると言われたから、掘りなさい』と毎日のように言うんですよ。お爺さんがおかしくなったって言う人もいました」
この言葉を残し天に召された祖父。しかしこの話を子どもの頃から聞いていたという公一郎さんは祖父の死後、自分も同じ夢を見るようになったといいます。
「お爺さんが亡くなってからは、夫も同じ夢を見るようになったんですよ。それで夫は『お爺さんの夢を叶えるのは俺しかいない』と、温泉を掘る決意をしたんです」
不思議なことはまだ続きます。実際に掘ろうとした場所は、公一郎さんの戦死した父が戦争に行く前に「俺がもし帰ってこなかったら、俺の所有するこの山を使って商売してくれ」と言い残したまさにその場所だったといいます。
これだけの偶然が起こるものでしょうか。これは偶然ではなく運命に違いないと確信した公一郎さんは、北海道の業者に依頼しこの場所で温泉を掘り始めました。
<1000メートルの壁>
掘り始めてから1年半余り、800メートル掘削した時点で、湯が湧き出ます。しかし、源泉量が少なかったため、さらに200メートル掘削し1000メートルに達すると、不運にも地熱がなくなってしまいます。何日か経っても一向に温泉が出る気配がなく、「自然が破壊するなと怒っている」という周りからの批判もあったそうです。工事費用もかさみ、しばらくの間、中断せざるを得ない状況に陥りました。
「あの時は辛かったですよ。家族で温泉にかけていましたから、出なかったらこの先の生活はどうなるんだって毎晩、不安でした」
順調に進むと思われていた温泉掘削にまさかのアクシデント。宮沢家に暗い空気が立ち込みます。
しかしそんな時に、公一郎さんの祖母と交わした約束を思い出します。
「うちの人を男にしてやろう。お婆さんとの約束。私はこの人を幸せにするために生まれてきたんだって帯を締めなおしましたよ」
なんとも力強い辰子さんの言葉でした。
<お婆さんとの出会い>
苦境のなか、辰子さんを奮い立たせた祖母との約束。
話は辰子さんが19歳の頃にさかのぼります。当時、辰子さんは市場で働いていて、勉強の一環として魚屋見学に行きました。
その見学先こそが今のご主人、公一郎さんの実家が経営するスーパーでした。
そこで辰子さんはある人に出会います。
「私の前に大きな鍋を持ってヨレヨレ歩いているお婆さんがいたんですよ。その姿を見て、たまらず手伝ってあげたんです」
その相手が、公一郎さんの祖母でした。
彼女は、今まで重たい荷物を運んでいても誰からも手伝ってもらったことはなかったらしく、辰子さんの優しい行為にいたく感動したといいます。
辰子さんが帰ったのちも、お婆さんは再び辰子さんがやってくるのを、来る日も来る日も待ち続けていたそうです。
そんなことは知らずに過ごしていた辰子さんにある日、公一郎さんから手紙が届き、お婆さんのことを知らされます。
辰子さんを待つ健気なお婆さん。まだかまだかと寂しげな顔をしたお婆さん。
気づいたら辰子さんはスーパーに向かうバスに乗っていたといいます。
「バスを降りたらお婆さんがいるんですよ。私に気づくなりヨボヨボのお婆さんが飛びついてきて『生きててよかった』って言ったんです」
「そして『世の中こんなに不公平じゃ困る。ねぇさんはうちの公一郎を幸せにするためにコウノトリが運んでくれたんだ』という言葉を言われたときに、私は公一郎さんと一緒になろうと決めたんです」
<執念の掘削再開>
祖母との約束を思い出した辰子さんはもう一度、掘削する決意をします。
「もう一度掘ろうって夫を説得しました。費用は私が出すから、この場所の標高と同じ1200メートルまで。あと200メートルだけ掘ろうって」
ある種の博打だったという辰子さん。
工事再開の日、不運にも台風だったといいますが、もう宮沢家に恐いものはありませんでした。
工事が再開してから毎朝5時に起床し、神社にお参りし「うちの人を男にしてやってください」と参拝していたという辰子さん。雨が降ろうが嵐になろうが、大雪に見舞われようが毎日毎日。
その姿を見た公一郎さんも、もう一度自分を奮い立たせます。
「夫は毎日24時間体制で現場に滞在し、寝る間を惜しんで工事関係者に差し入れをし、見守り続けました」
祖父の遺言、父の財産、祖母の願い、公一郎さんの夢、辰子さんの信念、工事職人の意地。全てが一つの力になり、最初の温泉掘削から2年半、ようやく奇跡の泉を掘り当てました。
<宮沢家の二つの宝物>
1999年7月20日にオープンしてから15年が経ち、多くの著名人や温泉好きが訪れました。オープン前は「延命温泉」と考えていましたが、成分検査に来た東京の温泉協会役員に名前の変更を提案され、遺言の話をした際に「戸隠神告げ温泉」と命名されたと言います。
戸隠の山奥にひっそりと湧く温泉は、まさに神様が浸かっているかのように静かで透明感があり心地良い湯加減。
神様が宮沢家に与えてくれた大きな宝物です。
そしてもう一つ大きな宝物があります。それは今年小学6年生になる辰子さんのお孫さんです。
「この子は、温泉を掘削した夫が生後4か月から懐に入れてそれはそれは可愛がっていました。この子もほんとうにお爺さん子で............」
「この子が生まれたのは11月26日(いい風呂の日)なんですよ」
神告げ温泉と言われる所以を肌で感じた取材でした。
会える場所:戸隠神告げ温泉 湯行館
住所 長野市戸隠3182
TEL 026-254-1126
HP http://web-nagano.jp/kamitsuge/topics.htm