大きな涙袋に、鋭い目つき、それにドシンと構えた出で立ち。
初めてお会いして手招きされたソファーに腰掛けたとき、着実に犯人を追いこんでいく現場一筋のベテラン刑事に、今から取り調べを受けるような、そんな緊張感が走りました。
しかし、一度会話が始まると、そんな私の馬鹿げた妄想はすぐに撃ち壊されたのです。
冗談が好きで、顔をくしゃくしゃにして笑う恵比寿様のような人。
それが、長野市善光寺表参道沿いに建つ清水屋旅館のオーナー、清水翔太郎さんです。
そして、ご主人の横に座るのは、二人三脚でこの旅館を切り盛りする奥様の勝代さん。さりげなく出してくれた奥様のお茶で、その場の空気と我々の心が一気に温まりました。
まるで、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家に来たような気分になってしまった私。
清水屋旅館は善光寺の表参道沿いに建ち、善光寺まで徒歩5分、長野駅までは徒歩20分という長野市街地の中心部に位置します。中に入り、玄関正面にある木造の橋を渡れば、歴史と風格を兼ね備えた階段、家宝の掛け軸や屏風、そして銅葺きの流しなど、時代を逆戻りしたかのような別世界が広がります。
「開業は明治17年で、俺が24歳から六代目として、この旅館をやっているから、かれこれ今年で、えっと25歳かな.......」
「長い一年ですね!!」
思わず、入れてしまったツッコミ。
持ち前の冗談で事もなげに話しますが、実はご主人、ご自身の父が家督を取らなかったため、若くして旅館を継いだ苦労人なんです。
「当時は、旅館の組合などの会議に出るとほとんどの店主が60代くらいの年上の連中だから、とにかく若いもんの意見が通らなくてよく衝突したよ。だって、何を言ってもたたかれるんだから。まず否定から入るから、あれは辛かったね」
また、善光寺の表参道沿いというメインストリートにある場所柄、旅館を休むわけにはいかず、ほぼ1年中働き尽くしの生活を過ごしてきたといいます。
そんな多忙なご夫婦が、休みなしに働ける元気の源。それは、外国人旅行客の存在です。
「長野オリンピック後から外国からのお客さんが増え始めてきて、ピーク時は3割から4割を占めていたかな。で、東日本大震災でゼロになって、ようやく今は安定してきて、大体2割くらいかな」
この2割という数字、長野市街地ではかなり多いそうです。
「英語は、そんなに得意じゃないんだけど、それが逆に居心地がいいらしいんだよ」
笑いながら話すご主人ですが、人気の理由は他にもあります。
「うちは特にマニュアルは設けていないから、こっちから日本の文化や旅館としてのルールを、ああだの、こうだの言わないんだよ。基本的には自由に使ってもらっているから」
「その前に、そんなに英語がしゃべれないからですよ」
すかさず入る奥様の絶妙なツッコミ。
「それに英語が得意だと、あれこれ細かいことも言っちゃうじゃないですか。だから、こちらは基本「受け身」。そのほうが、かえってお互い楽なんですよ。」
と奥様が本音を漏らしてくれました。
マニュアルを設けない理由を、「英語が得意じゃないから」とひたすら謙遜するご夫婦ですが、それ以前に、海外からわざわざ自分の旅館を選んでくれたお客さんだからこそ、いつものように自由にくつろいでほしいという飾り気のないもてなしの心がそこにはあるのではないでしょうか。
「うちの人はこんな恐い顔してるけど世話好きの一面もあって、冬に来た外国人のお客さんから、『スノーモンキー、スノーモンキー』と聞くと、地獄谷野猿公苑に行くんだと理解して、宿中を探しまわって靴を見つけて貸してあげたり、帰ってきたお客さんのびしょびしょになった靴に新聞紙を入れて乾かしてあげたりもするんですよ」
「だって靴を乾かすのに、新聞紙がどうたらこうたらなんて、そんな細かいことまで英語でしゃべれないからさ、ハハハッ」
お二人を見ていると、実にバランスがいいと思いました。サッカーでいうと、どっしり構えているゴールキーパーの奥様に、必要なときは攻めるフォワードのご主人。そんな攻守バランスの取れた対応が、海外からのお客さんの心を掴んでいるかもしれません。
それを聞いたご主人は、
「いや、俺は攻めるけど決定力不足のフォワードだよ。ハハハッ」
このユーモアとサービス精神も言葉通じなくとも、外国客と分かり合える所以なのかもしれません。
夫婦揃って外国客好きを公言していますが、十人十色、千差万別という言葉があるように、過去には色々な外国からのお客さんもいたそうです。
「お客さんがチェックアウトした後に、部屋を掃除しようとしたら部屋中が蝋燭だらけだったりね。あとは、モンゴルからきた身分が高いと思われるお客さんなんか、ハイヒールを履いてドレスアップして部屋から出てきて、お連れの方を後ろに引き連れて階段を降りてきたんですよ。その姿は映画のワンシーンのようでしたが、とにかく階段から落ちないでと思いましたよ。それとね、インドから来たお客さんなんか、部屋に炊飯器を持ち込んで大鍋でカレーを作っていましたよ(笑)あれには、さすがに驚きましたね!!」
「いくら何でも、その時は注意したんじゃないですか?」
「だから、英語が...」
そのあとは聞くまでもありませんでした。
笑いながら振り返るご夫婦ですが、これも旅館業の醍醐味だと話す懐の広さには感心させられるばかり。
今でこそ、海外からのお客さんの数が安定しているといいますが、東日本大震災以降はキャンセルが相次ぎ、経営的にも精神的にも苦しい時期があったと奥様はいいます。しかし、そんなつらい時期でも横でかばのような大きな口を開けていびきをかいている旦那さんを見て、スッと気持ちが和らいだそうです。
「悩んだって、ダメなときはダメ。腹が減ったら食う。眠くなったら寝る」
と、肝が据わっているご主人。沖縄の言葉を借りると「なんくるないさー」精神でしょうか。
しかし、普段からアイデアを出すのが好きで、東日本大震災後のお客さんが減った時期だからこそ部屋を改装したり、英語のパンフレットを作ったりと、持ち前のポジティブ思考でピンチをチャンスに変えてきたといいます。
「アイデアを言うのは好きだよ。ただ、不器用だから自分ではやりはしないよ」
その一言一言に、場を盛り上げようとサービス精神を感じさせるご主人。そして、真面目で旦那さん思いの奥様というバランスの取れた二人だからこそ、今日まで来れたのでしょう。
最後に、生まれも育ちも生粋の長野市民のご主人に、長野市について聞いてみました。
「昔から若いもんの言うことが通らない保守的な文化があるんだけど、最近は善光寺周辺で空き家を利用して店舗経営をしている人が増えたり、田舎暮らし体験を提供している人がいたりと、若いもんが頑張っていて嬉しいね。今度、うちの部屋も改装してって言っといてよ」
最後まで愉快なご主人に、帰り際に実年齢を聞いてみると
「夫婦そろってB型だよ。」という珍解答が返ってきました。
世界中から多くの人が訪れる清水屋旅館の魅力を随所に感じれた取材でした。
会える場所:中央館 清水屋旅館
住所 長野市大門町49
TEL 026-232-2580
Mail shimizuya.ryokan@gmail.com
ホームページ http://www.chuoukan-shimizuya.com/ja/
【宿泊】
2食付 8,800円
朝食付 6,600円
夕食 2,200円
朝食 880円
(消費税込)