5弾!!

株式会社藤屋
社長
藤井 大史郞さん

長野市の魅力的な人、仕事にスポットを当てたキャンペーン記事
今回はTHE FUJIYA GOHONJINを経営している、株式会社藤屋の藤井大史郞さんにインタビューをさせていただきました!
第1弾では長野市での仕事や事業転換に関する思いについてお話をお聞きしました。

この記事のPOINT!

  • 進路について真剣に考える
  • 地域の人が来てくれるようになりました
  • 地元の人の大切な時間を紡ぐ場所へ
  • 藤屋の良さをレストラン以外でも
  • 藤屋を支えるおもてなしの心

真剣に進路を考えて決めました

どうして料理人から社長になろうと思ったのですか?

手に職をつけて、いずれ藤屋に戻ってきて料理人になる前提でこの世界に入りました。この決断をする時に初めて真剣に進路のことを考えて、人生で一度だけ父親に相談して決めることができましたね。社長業を始めたきっかけは16年前の業態転換のときで、料理長としてやっていくか、社長としてやっていくか悩みましたが、自分はもう料理を作ることから退いて、運営に回ろうと決めたんです。

幼少期の藤井大史郎さん

不易流行という考え方を大切に。

藤屋はもともと旅館業を営んでいましたが、16年前に業態転換に踏み切った理由は何ですか?

1998年に長野オリンピックが開催されて大いに盛り上がりました。それはすごくいいことでしたが、一方でホテルがたくさんできて、価格破壊が起こりました。また、新幹線や高速道路が開通したことで、それまで3時間かけて長野市に来ていた観光客やビジネスマンが、1時間ちょっとで来られるようになって日帰りで行ける場所になったことも大きかったですし、逆に、自分が東京に出張に行くときも東京に泊まる理由がなくなったんです。善光寺を訪れる人にとって、長野市が宿泊する場所でなくなったということへの危機感を強く持ちましたね。

THE FUJIYA GOHONJINの外観

レストラン業、ブライダル業を始めたきっかけは何ですか?

さっきのことから、藤屋の在り方を話し合っていたとき、東京で藤屋と同じように古い建物を活かして、レストランやウェディング業を営んでいる会社に出会いました。34歳のときに、実際にその建物を見に行って「かっこいい!」と思い、藤屋でも同じことできないかなと、とてもワクワクしましたね!それから、考え方が前向きになっていきました。

実際に業態転換する際に抵抗はなかったのですか?

藤屋が、国宝「善光寺」の門前で、旅館業として代々受け継がれてきたことへの責任はもちろんありました。ただ、同じ業態であり続ける必要はないと考えました。藤屋は「不易流行」という言葉をとても大切にしていて、決して変わらないもの「不易」と、常に進化し続けること「流行」は相反する言葉だけど、実は根底では結びつきが強いんですよ。
旅館業から業態を変えることは、「流行」と捉えていて、ただ、旅館業でこれまで培ってきた思いやつながりは「不易」の部分として大切にし、「藤屋」があり続けていくために活かしていきたいと思いました。
でも、実際は難しくて、旅館を休業してレストランやブライダルに変更することは、周囲から不安な声を沢山聞きましたね。

業態転換にこぎ着けることができたのはどうしてですか?

もっと、地元の人に利用してもらえて、県外から遊びに来た人も連れて来られるような「レストラン」、それから人生で一度だけの大切な家族が集まる時間を過ごす「結婚式の場」として藤屋を利用してもらう意味はあると思いました。藤屋が藤屋としてあり続けるために、地元の人に目を向けて、この場所で幸せな時間を紡いでいくことの大切さを周囲に理解してもらえたことで、転換ができたと思います。

人生の節目を祝う場所に

ずばり、レストランとブライダル業は成功したと思いますか?

レストランを始める前は、当時の自分と同じ30代中頃の人をターゲットに、感度の高い人たちに来てもらって、「良いお店だな」と感じてもらえたらうれしいと思っていました。でも、実際オープンしたら、小さなお子様からご年配の方まで幅広く足を運んでくれて、うれしい誤算でしたね。
旅館業を続けていたら、地元の人が訪れる理由がなかったですが、レストランを始めたことで、誰でも来られるようになったことがすごくうれしかったです。結婚式に呼ばれた人がレストランに来てくれたり、レストランでプロポーズしてそのまま結婚式までつながったりと沢山の方の大切な場になっていると感じています。想定したよりも多くの人に訪れてもらえているという意味では成功したと思っていますし、なにより、結婚式や家族での食事、お祝いの席として利用してもらえるシーンを増やせたことが、とてもうれしかったですね。

藤屋のスイーツで“幸せなときを、もっと幸せに。”

パティスリー平五郎を始めた理由は何ですか?

藤屋を利用するお客様から、料理だけでなく、スイーツもおいしいと言う声を多くいただきました。ですが、お持ち帰りができなかったので、自宅でも楽しめるようにと、ロールケーキの専門店をぱてぃお大門で開いたことがきっかけになりましたね。
その後、藤屋の目の前の今の場所へ移転し、ブライダルサロンと併設してパティスリー平五郎を始めました。藤屋で結婚式を挙げるお二人が、打合せの際に、スイーツを食べながら楽しく過ごしてもらいたいと考えていて、嬉しいことにお客様に支持されているので、今の形で営業していますね。

自信を持ってすすめられるお店へ

ビジネスをしていく上で大切にしていることはなんですか?

一番は藤屋に訪れてくださった方が「藤屋良かったよ」と自信を持ってすすめてもらえるお店でありたいですね。その為に、まず、自分自身や藤屋で働くメンバーみんなが誇りと自信を持って、すすめられる商品を提供する事、そして、メンバーのおもてなしに対する、想いや姿勢を大切にしていきたいと考えていますね。藤屋のみならず、誇りを持っているお店や、自信を持って働いている人が多い街は、街全体の価値が上がっていくと感じています。だから、そのためにできることにチャレンジしようという思いが強いですし、そんな街を目指したいと思っています。

おもてなしを自発的にできる仲間たち

一緒に働いてるメンバーだからこそできたおもてなしは、どんなことがありますか?

お客様の事前情報が全くなくても、会話の中で「今日誕生日やお祝いのために来ているんだな」ということを、接客中に気がついて、作り手も一緒にお祝いに向けてデザートのプレートにメッセージを入れたり、なにか二人が好きなものがあればそれを添えてみたり。藤屋のメンバーたちがすごいところは、おもてなしを自発的にできるところだと感じています。

採用する際はどんなことを大切にしていますか?

藤屋でこういうことを実現したい!と具体的なものがあれば、すごくウェルカム‼(笑)また、長野を盛り上げたいという人にもぜひ来て欲しいですね!!
藤屋に染まらないで、あなたの色を出してほしいです。

藤井大史郎
出身:
長野市
経歴:
1971年生まれ→日本大学文理学部卒業→東京YMCA国際ホテル専門学校ホテル専攻科に1年間在学→日本料理の板前として修行し、株式会社エイワに7年勤務→1999年に株式会社藤屋に入社→2006年に代表取締役に就任。
作成者
川北ゼミ
清泉女学院大学
人間学部文化学科3年(2022年度)
地域貢献や公共政策について学ぶ川北ゼミに所属する6人。
フィールドワークや地域の企業、行政と連携したプロジェクトを通して、日々学んでいます。
インタビューを終えて

最後まで読んでいただきありがとうございました!藤井さんは先行きが見えない苦しい時こそ、藤屋や藤井さんにとっての不易(信念)が何かを考えました。そして今までのやり方を変えてでも、藤屋を守りつつ、より地域の人々に寄り添った場所へと変化させた人だと感じました。辛い時周りや自分が見えなくなりやすいですが、そういう時こそ藤井さんのように自分の信念は何かを考え、それのために行動していきたいです。
また、藤井さんは想像以上に優しく暖かなお兄さん(笑)といったとても素敵な方でした!第2弾では藤井さん自身により注目した内容になっていますので、そちらもぜひご覧下さい!