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No.417

坂橋

克明さん

フリーパーソナリティ

しゃべりを通じて受け手に喜んでいただくこと。それが私の生きる意義

文・写真 島田 浩美(文)、安斎 高志(写真)

「フリーパーソナリティの坂橋克明さん」というより “坂ちゃん”の呼び名のほうが、なじみがある長野県民が多いのではないでしょうか。SBC信越放送の顔として長年、アナウンス部で活躍した坂橋さんがフリーランスになったのは2017年のこと。独立しても変わらず、月曜から金曜までの冠番組『坂ちゃんのずくだせえぶりでい』にて毎日約4時間ぶっとおしの生放送ラジオで喋り続ける坂橋さんに、仕事のこだわりややりがい、独立した経緯とその後の変化、そしてこれからの思いを聞きました。
 

思いがけずアナウンサーに。こだわりは自分が面白いと思うことの追求

小さな頃から「人と違うのはいいことだ」と言われて成長し、受験勉強中も『オールナイトニッポン』を聴くほどラジオに親しんで育った坂橋さん。ラジオ番組を作るディレクター志望で入社したSBCで、図らずもアナウンス部の配属に決まったことが、現在の独特のトークスタイルを確立する第一歩になりました。
 
「配属が決まった時はパニックでしたが、アナウンサーへの憧れが一切なかったからこそ仕事として客観視でき、受け手に喜んでもらえる放送を考えられたことがよかったんじゃないかな。自分が面白いものを他人にも面白いと思ってもらいたい、しゃべっている人間が面白くないとリスナーにとっても絶対に面白くないという気持ちで周囲にアンテナを張っていました」
 
そして、幼少期からの教えの通り、人と違うことを恐れず「ありきたりはつまらない」との思いで常に世の中の情報に対して自分なりの視点を持つことで、独自の面白さを追求。すると入社1年目の秋に、若者を対象とした2時間半の生放送番組を任されるようになりました。
 
「いろいろな放送の規制を知らないし怖いもの知らずだったので、今まで手がけたなかで一番面白い番組だったんじゃないかな」
 
こう坂橋さんが話す通り、好き勝手に話す過激なトークが受け、結果的に2年半に及んだ放送で坂橋さんは一躍人気パーソナリティに。
同時に、テレビ番組『みどりのたより』も担当。坂橋さんが体を張っていろいろなものにチャレンジするなかで、飾らない開けっぴろげな人柄と、失敗などありのままの姿を映し出す面白さから、土曜日朝の放送ながら視聴率は15%を記録したこともありました。この数字は今も語り継がれるほどで、6年半続いたこの人気番組を通じ、坂橋さんは長野県内に広く知られる存在となりました。
 

 
とはいえ、順調にアナウンス街道を歩んできたわけではありません。長野県で初参入となった夕方ワイド番組『ほっとスタジオSBC』の司会は、わずか1年で交代に。
 
「ディレクターと私で時代の先をいっちゃっていましたかね(笑)。でも、臥薪嘗胆で見返してやろうと頑張ったから、その後9年間続いた『わいわいワイド ラジオの王様』という番組につながったので、自分では悔しさをばねにできてよかったと思っています。司会はクビになったけど(笑)。それからもわかってくれる人はいると信じ、自分の考えや面白いと感じることをしゃべり倒しました」
 

ローカル局もキー局も関係ない。大切なのは日々全力を尽くすこと

そんな坂橋さんにとっての転機のひとつが、2002年のソルトレークシティ五輪でのたった一人での取材。時差があり睡眠時間もままならないなか選手にインタビューし、編集をしてスタジオに連日素材を送ったことは、苦労が多かった分、自信になったと言います。また、東京のキー局のスタッフから頼りにされた場面もあったことで、ローカル局でも世界に発信できる手応えを覚え、視野も広がったそう。
 
加えて、ある時には人気ラジオパーソナリティの亀渕昭信氏のNHKラジオ番組で、AM・FMを問わず全国の放送局から面白いパーソナリティ5名が選ばれ、その一人になったことも自信になったそうです。
 
「NHKの番組に民放のSBCの人間が出演するなんて画期的でしたし、面白いことをやっていればちゃんと聴いてくださる人がいて、この時もローカル局であることは関係ないと感じました」
 

 
こうして『わいわいワイド ラジオの王様』を経て、2008年から『坂ちゃんのずくだせえぶりでい』の放送が開始。毎日放送される冠番組をもったことで、坂橋さんは今まで以上にリスナーに近いありのままの自分をさらけ出していると言います。その結果、「なんだお前~」「このやろう~」といった坂橋さんならではの愛のある言葉遣いもリスナーに受け、今は20代や30代のリスナーからの電話も多く、年齢層の広がりを感じているのだそう。毎日の番組がリスナーの生活の一部になっていることを実感していると言います。
 
そんな放送も12年目に突入。なんと坂橋さん、これまでの11年間、徹底した体調管理により病欠はゼロなのだとか。そのモチベーション維持の秘訣はどこにあるのでしょう。
 
「面白いことをしゃべりたいと、日々全力を尽くしていることで今に至っています。結局、長年の放送も1日1日の積み重ねでしかなく、今日たまたま聴いたリスナーがつまらないと思ったら、明日は聴いてくれません。だから、明日死んだら死んだでしようがないと、日々納得できる仕事をしています」
 

 

大きな存在だった人の死。これからの“生き方”を考えた独立

こうしてラジオ番組を担当しつつ、局内ではアナウンス部の部長も務めていた坂橋さんでしたが、2017年にSBCを退職。フリーパーソナリティとなったきっかけのひとつは、親しい人の死があったと言います。
 
「2016年に高校時代の友人を亡くし、翌年に父親を亡くしました。しかし何より、長年番組のアシスタントを務めていた菊地恵子さんを2017年に亡くしたことが大きい。恵子さん以上のパートナーには巡り会えないと思っています。3人の死が重なり、人はいつ死ぬかわからないと思い、二度とない人生で後悔しないように生きたいと思いました」
 
家族の支えがあったほかに、独立の大きな後押しとなった理由のひとつは、生前、菊地さんから「早くフリーランスになりなさい」と言われていたこと。坂橋さんはいつか菊地さんと一緒に講演会などで各地を回ることが夢だったそうで、そのためにも独立を勧められていたそうです。
 
「結局、夢は叶わなかったのですが、私が講演会で恵子さんの話をすれば自分なりの供養になることもあるのかなと思いましたし、皆さんに恵子さんのことを忘れないでいてほしいし、恵子さんにも私が講演する姿を空から見ていてほしいとも思いました」
 
そして、管理職となっていずれしゃべりの現場から離れるのではなく、「自分にしかできない仕事を一生続けていきたい、リスナーや受け手に喜んでいただくために一生“しゃべりバカ”でいたい」との考えからフリーランスになることを決意。
 
「これからの“働き方”より“生き方”を考え、自分の言葉を直接人々に届ける表現者でありたいと思ったんです」
 

 
こうして、今は各地で講演会やトークショーを通じてリスナーと直接触れ合い、反応や評価がダイレクトに返ってくることに坂橋さんはやりがいを感じています。多くの人が講演会に足を運び、喜んでくれることも表現のものさしになっており、醍醐味や充実感を覚えているのだそう。
 
「私は自分のフィルターを通して自分の考えを表現しています。だから、用意された原稿を読むことが多いアナウンサーとは名乗らず、肩書きは必ず『フリーパーソナリティ』としています」
 
そんな言葉からも坂橋さんの表現者としての強い意志、こだわりを感じます。では、坂橋さんが思うこれからの“生き方”とは。
 
「会社を辞めてフリーランスになることは怖くもあり、これ以上の決断は人生にないと思っています。そこで、私と同じように悩んでいる人の一助になり、前に踏み出す勇気になったらいいなと。一方で、SBCという会社はしゃべる仕事に全く興味がなかった私に、しゃべりの職人になるような気持ちを与えていただいた大切な場所。そこで、私が在籍時代以上にはつらつとすることで、SBCの皆さんに『坂橋はうちの出身だよ』と胸を張ってもらえるような仕事をすることが一番の恩返しだと思っています」
 
今は自治体から企業まで幅広く講演会に呼ばれ、コミュニケーション講座や中堅社員のモチベーションアップなどの講座も開いている坂橋さん。その実感のこもった力強い言葉は、きっと多くの人の“生きる”原動力になることでしょう。
 

(2019/02/07掲載)

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