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No.211

高野

さん

人とホスピタリティ研究所 代表

おもてなしは心の強さと優しから
神話から読み解く地域の力

文・写真 Rumiko Miyairi

自分自身に向き合える機会をつくる

“百年先を見て今どう生きようか”。善光寺寺子屋百年塾はこんなことを語り合い、ものごとを原点から学び合うコミュニティとして始まりました。今年で5年目を迎えます。

年を重ねるごとに全国に広がり、現在では鎌倉百年塾、お江戸百年塾、北九州百年塾など13か所で開かれています。

塾長を務めるのは、人とホスピタリティ研究所の高野登さん。東京に住みながら長野に構えた事務所に通い、この百年塾のほか企業や団体に向けて、人間関係に伴うコミュニケーションをテーマとした講演やセミナーなどを行っています。

「昨年の善光寺の百年塾では『時間と命』を1年間のテーマにしました。それに沿って、具体的なサブテーマを決めてその切り口から話をします。でも、どんなテーマでも私が一方的に話し、聴く側もただ聴いているだけではなかなか自分のものにはなりません」

高野さんは長野市戸隠に生まれて高校時代まで過ごしました。

その後、ホテリエの知識をプリンスホテルスクール(現日本ホテルスクール)で学び、卒業後21歳で渡米します。ニューヨークなどの有名ホテルの勤務を経て1990年、勤めていたサンフランシスコのザ・リッツ・カールトンのホテルの開業に携わります。

「鎌倉百年塾」の皆さん。塾長の高野さん(前列中央)を囲んで和気あいあいと記念撮影[写真協力・高野登さん]

その後も、ホノルルに営業オフィスを開設するなど多くの功績を残しました。

1994年、高野さんはザ・リッツ・カールトンの日本支社長として日本に異動しました。そして積極的なマーケティング活動などを展開し、国内では大阪にホテルを開業、続けて東京への開業にも携わります。

第一線で活躍する高野さんは、各界から評判が高く、開いた講演会には多くの人が押し寄せました。

2009年に退社した高野さんは、翌年の2010年に「人とホスピタリティ研究所」を立ち上げ、本格的に講演会や企業のコンサルティングなどを始めました。今までのキャリアとその経験を生かして、心のおもてなしや働くことへのモチベーションを高める話などをより分かりやすく伝えています。

1983年The plaza時代の高野さん(2列目右から1人目)。ホテルの開業をサポートするなど多くの功績を残した[写真協力・高野登さん]

書き下ろした著書も多くあり、2014年には、発達したSNSなどによる人間関係のあり方をまとめた「あえて、つながらない生きかた」(ポプラ新書)を出版しました。

高野さんは講演会などを通して、自身と向き合ってもらえる機会にしてほしいとあらゆる視点から働きかけます。そして伝えたいことが、聴く人の心により鮮明に響いてもらえるように工夫を凝らします。

「人って、咀嚼してこそ自分の言葉となり自分の気持ちになるんです。百年塾は、集まった方たち同士が対話をしながら進める形を取り入れています」

いつも満席の「おもてなし」についての講演会。高野さんは全国各地で熱心に講演する[写真協力・高野登さん]

気遣う関係がある地域社会

人前で話すことなどを生業にする高野さんですが、今は思いもよらない子どもだった、とかつてを振り返ります。

「父が農協勤めだったせいもあり、私の家は色々な相談に来る人の出入りが多かったんです。人見知りがひどくて知らない大人が苦手な私は、人が来るたび隠れていました。それに学校などでは、だいたい”味噌っこ”って奴でしたね。野球でもバットやボールみがきのような、普通なら嫌がられる役を任されましたからね。今どきでいう、落ちこぼれでしたよ(笑)」

しかし生まれ育った戸隠では、どんな落ちこぼれも放っておかない田舎ならではの気遣える関わり方があったと、そのころの和やかな空気を語ります。

「昔はガキ大将のような奴がいて、強いものをやっつけて、弱いものは助けたり守ったりしていました。私のような味噌っこは、どちらかといえば守られる側にいたので、よくそんなガキ大将にかばってもらいました。昔の田舎は、地域全体で、そういう落ちこぼれを放っておきませんでしたね」

当時の自身の様子にふれながら、現代の地域社会に感じる思いも静かに打ち明けました。

「今は、それがなくなってしまいましたね。増して、子どもの中にもガキ大将のような存在もいませんから、落ちこぼれてしまうと放っておかれてしまいます」

学生に向けた講演会では「人は変われる」というテーマで、自身が経験してきたエピソードと人との出会いを通じて、感じたことを話します。

「ものごとには必ず二面、三面があるものです。誰の視点でものごとを見ることができるか、それを広い視野で見られたら案外、切羽詰っているときでも気持ちに余裕が出てくるものです。過去と他人は変えられないものですが、自分と自分の未来は変えることができますからね」

高野さんは、昔にあったような地域での気遣える関係を再構築できるように、様々な視点でものごとに理解を持ちながら講演をします。その姿勢が多くの人に支持される理由の一つかもしれません。

米国時代の思い出の1枚。David&Hansと、にこやかな高野さん [写真協力・高野登さん]

神話や昔の風景から伝わる地域の力

幼いころ、戸隠に語り伝えられている神話を大人からよく聴いていたという高野さん。

「神話にはものごとの原点が備わっていると思いますね。神々の間で、疑ったり嫉妬したりする話があって、物凄く人間臭いところを感じ取れるんですよ。それを敬いながら、何かしらを考えて学び取ることができるんです」

戸隠神社は天照大神にまつわる神話につながり、それらに登場する神々が祀られてきました。そんな原点を表しているような神々の神話が伝わる地域だからこそ、ものごとの見方として正しく、機能的にも優れた力があふれていると、こう話します。

「目的に向かって企画を考える中社の神様、それを実行する火之御子の神様、結果を出す奥社の神様、というような神々が揃う神話が、語り継がれてきた長野なんです。ですから日本一おもてなしあふれる地域社会にする、という目的を持ったとすれば、原点に返り、その道理にそってものごとを考え、人との関わり方も見直せればよい結果につながるかもしれません」

そして高野さんは、日常の些細な気づきが思いやりと優しさを表せられる心の余裕だといいます。

「高野登が語る戸隠の魅力」と題して、生まれ育った長野の魅力を、昨年オープンした銀座NAGANOで語った

「長野には昔から”雪かき隣三尺”って言葉がありますが、これは人に気遣える心の形が表れたものなんですね。そんな昔の近所付き合い一つをとっても顔が見え、優しい心遣いにつながるんです。例えば、長野駅で困っている外国人を見掛けたら無視をせず、身振りでもニッコリするだけでも気持ちは伝わりますよ」

時々、心の環境整備を心がけていると、優しい気持ちがあふれるようになると、高野さんは確信しています。

「おもてなしの基本は、自分の心の中にある優しさをいかに最大限に出せるかですね」

関わりの薄い人間関係や目的があやふやなまま急ぎ足で過ごしがちな現代、人それぞれの立場でいろんな思いを抱いて生きています。

高野さんの言葉のように、昔に倣い自分の生まれ育った場所や今暮らしている町を見つめてみると、忘れかけていた優しさがまた持てるようになれるのかもしれません。

2014年11月、長野善光寺のお朝事での一枚。心の強さと優しさをもつ高野さん(前列左から2人目)の周りには、いつも大勢の仲間が集まる[写真協力・高野登さん]

(2015/03/12掲載)

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