長野市地域おこし協力隊はながのシティプロモーションの一環です

人口増推進課長と移住を語る-柳井さん長野市移住1周年対談

2016年10月25日 | 記事カテゴリ:柳井さんの移住記録 |

柳井勇さん・江利子さんご夫妻が長野市中条へ移住してきてから10月で1年が経ち、本ブログもシーズン1を終了させていただくことになりました。

せっかくの最終回です。市役所の移住担当部署のトップである藤橋範之人口増推進課長と一緒に、柳井さん宅にお邪魔してきました。
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<意外と役に立っていたコンシェルジュ>

安斎:
コンシェルジュとしては囲炉裏の灰をゲットした(記事はこちら)だけで、1年が経過してしまいました。あらためて長野市での暮らしはどうですか?

勇さん:
どんどんスムーズに価値観が同じ人と繋がっていきます。無農薬栽培だとか自然栽培をやりたいと口にすると、すぐに周りがアドバイスしてくれそうな人を紹介してくれる。

藤橋課長:
すぐ近くに先駆者である久保田清隆さん(ナガラボ記事)がおられるのも大きいかもしれませんね。

勇さん:
(長野市松代地区の)地域おこし協力隊の大島誠子さん夫妻も積極的に取り組んでいて、勉強させてもらったり、お互い手伝い合ったりしています。

藤橋課長:
ネットワークは自然発生的に広がっていった感じですか?

勇さん:
地域おこし協力隊の方々が繋いでくれることが多いですね。(鬼無里地区の隊員)木下恵美子さんが開いた古民家の壁塗り体験ワークショップに参加したら、(信州新町の隊員)浅野知延さんが声を掛けてくれて。

藤橋課長:
長野市が地域おこし協力隊の導入を決めた時、私が担当課長でした。優秀な協力隊員を全国から採用したんですが、このような形で柳井さんとつながっていたなんて。
まさか、たくさんの隊員がこんなうれしいつながりをつくっているとは思わなかったですね。いやぁ、感激です。

江利子さん:
でも、元はといえば、この「コンシェルジュブログ」で紹介されていたから、浅野さんが声を掛けてくださったので...。

安斎:
あ、かすかに役立っていて、ホッとしました。

江利子さん:
最初に引っ越してくるときは、だれも知り合いがいなかったので、「何か困ったことがあったらコンシェルジュにお願いすればいい」という安心感は大きかったですよ。 

勇さん:
先日、安斎さんに紹介していただいた小田切さんに電気工事してもらいましたし。

安斎:
わ、うれしいな。じゃあ、せっかく藤橋課長がいらっしゃるので、行政への要望とか苦情とかぶつけちゃってください! 

勇さん:
そんな大それたものないですよ(笑)。しいて言えば、リフォームに必要なものの調達場所とか、廃材をくれる解体屋さんの情報がほしいということかなあ。

江利子さん:
それは一般的じゃないと思う(笑)

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< 民泊始めました >

江利子さん:そういえば、9月から中学生の修学旅行先としての農家民泊を始めました。これもまた、地域おこし協力隊つながりで、(七二会の隊員)石鍋明子さんに紹介してもらいましたよ。

藤橋課長:
どんな体験をしてもらうんですか? 

勇さん:
まだ3組しか受け入れていないんですけど、薪割り、稲刈りだとか、あとは家のリフォーム、壁塗りを手伝ってもらったりしました。 

藤橋課長:
それは大喜びだったでしょう。そしてここでも協力隊員ですか。うれしいなあ。民泊事業に携わっている橋本太郎さんは、民泊を農家の収入源にするシステムをつくりたいということで、旅行業の国家資格まで取って頑張っています。

勇さん:
今、大岡地区の道の駅に作物を並べていいよとも言われているんですが、それもまた協力隊員のご紹介でした。

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<移住者と受け入れ側、双方が幸せになるために>

藤橋課長:
しかし、本当に立派なお宅ですね。柱や梁の太さがすごい。

勇さん:
僕たちはネットでこの家を見つけたんですが、不動産屋さんがいい人で運がよかったです。

藤橋課長:
もし柳井さんとの出会いがなければ、この立派な家も何年後かはつぶれていたかもしれませんよね。そうした事態を避けるべく、長野市でも昨年から空き家バンクの運用を始めたところです。

安斎:
僕も一時期、空き家を探していたのですが、マッチングは簡単ではないですよね。 

藤橋課長:
確かに、なかなか登録件数が増えていかないんですよね。
ですが、先日、この中条地区で地元の方々に直接説明する機会があって、その数日後にはさっそく複数件の問い合わせがありました。やはり、直接お話しをする機会があると違いますね。加藤市長も日頃から「行政サービスも"待ちの姿勢"ではだめ、どんどん地域に出ていく"攻めの姿勢"でいきなさい」と話していますが、その通りだと思います。

安斎:
そういえば、地元最大のお祭り「虫倉まつり」がもうすぐですね!甚句の太鼓、大舞台では初めての披露ですか? 

勇さん:
そうです!
木遣りだとか甚句だとか長野市に来て、生で触れて初めて興味を持ちましたけど、本当にかっこいいですよね! 

藤橋課長:
お話を聞けば聞くほど、地域に溶け込んでいらっしゃると感じます。

安斎:
浮世離れした生活をしたいとか、人付き合いのわずらわしさを避けたくて引っ越してくる人もいますが、中山間地の場合、コミュニティを存続させなければ生活がどんどん難しくなっていくわけで、柳井さんのような方は受け入れる側にとって理想的なんじゃないですか?

藤橋課長:
それぞれの移住者のニーズをきちんとお聞きして、良いことも悪いことも正確な情報として示していかないと不幸な結果を招いてしまう。移住希望者と受け入れる側、双方が幸せになるには、そこが重要だと思いますね。

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一年間にわたり続いてきた「長野市移住コンシェルジュブログ」ですが、これにてひとまず終了となります。ご協力いただいた皆様、読んでいただいた皆様、ありがとうございました。

ただ、長野市はいつでも移住希望者をお待ちしておりますし、移住・定住相談デスクは引き続き、通常営業中です。ことし4月には1名増となり、さらに体制を強化しています!長野市への移住を検討されている皆さん、いつでもお気軽にご連絡ください。

もしかしたら、シーズン2もあるかもしれません。ないかもしれません。

移住、白紙に戻る。

2016年7月 7日 | 記事カテゴリ:中西さんの移住記録 |

このブログを楽しみにしていただいていた皆さまに残念なお知らせです。

移住希望者の中西さんから、移住について白紙に戻したいとのご連絡がありました。

「最初は、転職活動くらいのつもりでした。しかし、実際に移住するとなると、『どうしてもその土地に行きたい』という強い意志がないと難しいです。長野でどんな生活がしたいかというイメージと目的があいまいでした」と中西さん。

転職活動はある程度進みましたが、移住という決断には至りませんでした。

今回は移住という結果につながりませんでしたが、それでもこのコンシェルジュを通じて、中西さんと長野市のご縁が深まったとは思っています。中西さん、移住を再度検討される時にはご連絡をお待ちしています。

中西さんの長野市移住コンシェルジュプロジェクトはこれにて一区切りとなります。ただ、長野市はいつでも移住希望者をお待ちしておりますし、移住・定住相談デスクは引き続き、通常営業中です。

長野市への移住を検討されている皆さん、いつでもお気軽にご連絡ください。

田植えのシーズンです。

2016年5月19日 | 記事カテゴリ:柳井さんの移住記録 |

そろそろ田んぼで農作業が始まると聞いて、久しぶりに中条地区の柳井さん宅にお邪魔してきました。

田んぼに着いたら、勇さんは代掻きの最中。レトロな耕耘機がかっこいい。
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江利子さんは、先週、田植えを済ませた田んぼの草取りと差し苗をしていました。田植えは手植えだったそう。ふたりとも、里山の風景になじみすぎです。
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休耕田になることなく続いてきた田んぼだし、柳井さんご夫婦も移住前から稲作を経験していたので、これまでのところ大したトラブルなく進んでいます。でも、これ、いったん休耕田になったら大変なんだろうなあ。

ここで栽培するのはコシヒカリとイセヒカリ。中条の気候を考えると、イセヒカリの方はもしかしたら向いていないかもしれないとのことですが、前に住んでいた福島からわざわざ持ってきた苗なので、チャレンジしてみるそう。

それにしても、里山に流れる空気があまりにのどかで、もうちょっと長居したかったです。
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面接を受けてきました!

2016年4月 8日 | 記事カテゴリ:中西さんの移住記録 |

ようやく春がやってまいりました。
ということは。
本業に加えて、スノーボードのインストラクター業で忙しい中西さんも、休日を取りやすくなりました。

昨日は早速、2社を訪問し、面接を受けたり、会社を見学したりしてきました。
その場に立ち会わせていただきましたが、中西さんも、ふたつの会社の採用担当の方も、ともに好感触を得ていたように感じました。

あとは相性とタイミングです。
私は待つのみです。
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コンシェルジュとしては、早く仕事が決まってほしいと思っていますが、
一方で、そう簡単には決まらないとも思っています。

これまで販売業を10年ほど経験してきた中西さんですが、今回の移住で職種を変えようと考えています。
しかも、「この職種!」と決まっているわけではありません。
そのため、仕事を紹介する側としても考えなければいけないことが実に多岐にわたります。

だから簡単ではないのです。

でも、誤解なきよう。
地方に仕事がないから、というわけではありません。
「何でもやるよ!」という覚悟があれば、そんなに苦労はしないと思います。
(仕事を決めたあと苦労するかどうかはまた別の話です)

コンシェルジュ・安斎は社会人になってから10年以上を地方で暮らしてきましたが、これまで「地方は仕事がない」と感じたことはありません。
むしろ数年暮らした都会より、地方の方が「人材不足」という声をよく聞きます。

そして、求人情報が何でもインターネット検索で引っかかるわけじゃないですし、求人を表に出していないけれど「いい人がいたら、ぜひ」と思っている会社も結構あります。
「コミュニティに飛び込むと、いろんな仕事を紹介される」と、先に移住した柳井さんも言っていました。
(柳井さんは農業準備中)
 
どうしても住みたい街があるなら、とりあえず引っ越してから仕事探しという順番の方が、結果はよい方に転ぶような気がします。
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ともあれ、職種を変えつつ、住む場所を変えるのは、ハードルが高いですね。
採用する側も、される側も、そしてご家族もハッピーにならないと、移住の意味なんてなくなってしまうので、慎重にことを進めます。

いやー、企画を始めたときは、こんなに苦労するとは思わなかったなあ。
ドキドキしながら結果を待っています。

古民家に太鼓の音が響く。

2016年3月17日 | 記事カテゴリ:柳井さんの移住記録 |

ずいぶん、間が空いてしまった柳井さんの移住記録。
ネタがないわけじゃないんです。それどころか、久しぶりに訪れると柳井さんの暮らしはおもしろいネタがいっぱい。
そう。コンシェルジュが繁忙期につき、動けなかったのです。すいません。

農業の準備を始めたり、仕事のお誘いがいくつかあったり、リフォームを始めたりと、いくつかあるネタのうち、今日は太鼓のことをお伝えしようかと思います。


話は少しさかのぼって、1月の新年会でのこと。
柳井さん夫妻が集落のみんなの前で紹介されるのは初めての機会でした。そこで歓迎の気持ちを込めて披露されたのが「木遣り」。

木遣、木遣り(きやり)は、労働歌の一つ。1202年(建仁2年)に栄西上人が重いものを引き揚げる時に掛けさせた掛け声が起こりだとされる事がある。掛け声が時代の流れにより歌へ変化し、江戸鳶がだんだん数を増やした江戸風を広めていった。(ウィキペディアより)

長野ではしょっちゅう見かける光景ですが、この木遣りに柳井さん夫妻はいたく感動したそうです。そうそう。福島出身、関西経由のIターン組である安斎も、最初に目の前で見聞きしたときは感動しましたし、今でもグッとくるものがあります。

「震えるほど感動して、伝統芸能みたいなものにも興味がわいてきました」と勇さん。

そんな折り、勇さんは絶妙のタイミングで地域に伝わる「伊折甚句」の保存会からお誘いを受けます。ふたつ返事で練習に参加すると、与えられたのは、太鼓のパート。そして手渡されたのは、唄が吹き込まれた、昔懐かしカセットテープ。
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ちなみに太鼓は、蔵からケヤキを使った古いものが出てきたそうです。移り住む際、古いものを処分しないでおいてもらったおかげで、いろんなものが出てくるんです、この家は。
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時間を見つけては練習しているという勇さん。古民家に太鼓の音が響きます。
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長野市内には神楽保存会や甚句保存会が組織されている地区がたくさんあります。発表の場は、お祭りや祝いの席などです。地区によっては、引っ越してくると、待ってましたとばかりにお誘いが来ます。参加は強制でもなんでもないのでご安心いただきたいのですが、せっかくなら、柳井さんのように楽しめるといいですね。

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