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CULTURE

人の
営みへの敬意

「写真は、エンターテイメント」
あふれる遊びごころとカメラ愛。

大井川茂兵衛(もへい)さん

フォトグラファー/写真屋(株式会社 Hi-Bush)

メインビジュアル

数々の受賞歴を誇り、広告写真からアート作品までジャンルレスに、多彩に活躍するフォトグラファー 大井川茂兵衛さん。県内有名企業の広告写真も数多く手掛けているため、長野県民・長野市民であれば、きっとどこかで一度は大井川さんの作品に触れているはず。今年でキャリア20年を迎え(2025年取材時)、なお第一線で活躍しつづける大井川さんにお話をお聞きしました。

文・写真 原 有彩(文) 吉田 淳子(写真)(株式会社ビー・クス)、写真提供 大井川 茂兵衛さん

就職氷河期を乗り越えて 好きなことで生きていく

気になるのが「茂兵衛さん」というお名前ですが、こちらは活動名。本名は茂(しげる)さんです。
「明治に活躍した写真家・日下部金兵衛(くさかべ きんべい)さんからいただきました。彼の写真展で衝撃を受けたのがきっかけで、彼に少しでも近づきたくて40歳を迎えた節目に、本名の「茂」と金兵衛の「兵衛」をくっつけて、茂兵衛(もへい)に改名したんです」
 

大井川さんが生まれたのは長野市のお隣、中野市。
最初にカメラに興味を持ったのは中学の頃で、友人のお父さんに誘われて登山にはまったことがきっかけに、道中の美しい風景や珍しい草花を記録するため自然とカメラを手にする機会が増えていったそうです。
その後、須坂市の進学校へ。当時目指していたのはカメラマン、ではなく雑誌の編集者だったそう。
「僕が高校生の頃は『雑誌』が最も元気だった時代。ファッションも音楽も文化も、全部雑誌が教えてくれたから、自然と憧れるようになって」
 

好きな雑誌を「作る側」になることを夢見て、長野を離れ上京した大井川さん。
ところが、待ち受けていたのは超・就職氷河期という現実でした。
出版社の採用試験を受けるも、ことごとく撃沈。やむなく東京でのアルバイト生活がはじまります。眼鏡屋さん、ガソリンスタンド、写真スタジオ…とさまざまな職種を経験しながらチャンスを伺いますが、出版社に就職できる見込みは薄いまま2年の月日が流れました。
生活も苦しくなる中、
「このままじゃいけない。地元に戻って、とにかくどこかの会社でちゃんと働こう!」
地元で腰を落ち着ける覚悟を決めた大井川さんでしたが…
「帰ってきてビックリ!長野も就職氷河期だったんだよね!ひどい話だよ(笑)」
 

長野でもアルバイト生活を余儀なくされ「どうせ就職できないなら、好きなことする」と吹っ切れかけていた大井川さんのもとに転機が訪れます。
当時、バイトをしていた地元テレビ局の社員さんから、県内で活躍する写真家のアシスタントの仕事を紹介されたのです。
これまで様々な職種を経験しつつも、かすかに、でもずっと、カメラへの興味と情熱を絶やさず持ち続けてきた大井川さん。迷わず、アシスタントの仕事を引き受け、その後、師匠のもとで3年間みっちり経験を積み、2005年、28歳のときに「Hi-Bush(ハイブッシュ)」という屋号で独立を果たします。屋号の由来は本名の「茂」から。
「きっと両親は、僕に草木のように強くたくましく生い茂ってほしいという想いで名付けてくれたと思うから、それにあやかって、Hi(high=高く伸びる)-Bush(=茂み・雑草)にしたんです。いい名前でしょう?」
 

独立直後はツテもコネもキャリアもナシ。まさにゼロからのスタートでしたが、そんな大井川さんに声をかけてくれたのが、フリーで活躍する個性豊かなグラフィックデザイナーさんたちでした。
「みんなとてもかわいがってくれてね。まだ何もない自分に依頼をしてくれた人の期待になんとか応えたい。その人たちの求めるレベルに追いつかなきゃって、とにかく毎日必死でした」
来る日も来る日もガムシャラに仕事に打ち込み続けた結果、仕事が次の仕事を呼び、屋号の通り、まるで草木が生い茂るようにめきめきとキャリアを広げていきました。
独立から8年目、
2013年には、APA(日本広告写真家協会)アワード 写真作品部門で奨励賞、
2015年には、同アワードで文部科学大臣賞、
2016年には、同アワード 広告作品部門 美しい日本賞と
立て続けに全国規模の大きな受賞も果たしました。
 

2015年APAアワード写真作品部門 文部科学大臣賞受賞作品

さらに近年では、大井川さんの写真が著名な建築家の目に留まり、作品集の撮影依頼が舞い込むまでに。
「『建築写真』という歴としたジャンルがあるから、最初は『僕なんかでいいんですか?』って恐縮しちゃいました。でも、先生からは『大井川くんの感性で好きなように撮ってくれればいいから』って言ってもらえて。これほど冥利につきることはないよね」と嬉しそうに微笑みます。
 

撮影を手掛けた写真集を眺める大井川さん
のちの作品集撮影依頼のきっかけとなった、鋳物メーカー「能作」のサイン撮影 (アートディレクター/水野佳史さん)

写真はエンターテイメント

そんな大井川さんが仕事に臨む際のモットーは、「写真はエンターテイメント。撮って楽しい、撮られて楽しいものであるべし」だそう。
「自分が撮った写真を見て、みんなが『おいしそう!』『かわいい!』とか『すごい!』とかエキサイトしてくれる瞬間が1番うれしい」と話します。
 

エンターテイメントが爆発している自身の作品を眺めながら  写真右は、独立直後から公私ともに親交が深い、中沢定幸さん・相澤徳行さん・轟久志さんらと。

さらに大井川さんの活動のもう一つの軸になっているのが、専門学校での講師です。
生徒さんの作品に触れる中で
「当然、みんなまだ『下手くそ』だよ。でもそれがいい。
テクニックがないからこそ、テクニックに走らず、無心でシャッターを押す感覚、目の前の被写体を何とか収めてやろうという気概がビシビシ伝ってくるよね。
当然プロとしてテクニックは不可欠だけど、その一方で、彼らみたいに『撮りたい』という純粋な衝動はずっと持っていたいと思う」

写真をエンターテイメントにし続けるために、常に遊び心と無邪気さを絶やさないようにしているという大井川さん。事務所兼撮影スタジオには、得体のしれない、だけど、どこか憎めない不思議なオブジェや人形が並びます。
 

スタジオのあちらこちらに生息する、大井川さんのゆかいな仲間たち。
現場を盛り上げる用途不明(笑)な小道具とともに。スタジオはまるで異国のよう。
独立10周年時を記念したセルフポートレート 「なんとか生き延びた」ことを祝い、落ち武者に扮したシュールな作品 (写真左が大井川さん、右は友人で同じくカメラマンの金井さん)

活動名の由来でもあり、尊敬する日下部 金兵衛氏については
「彼が活躍したのは明治初期。日本に写真技術が入ってきてまだ間もない頃なんだけど、彼の写真は『彩色写真』って言って、モノクロの写真の上から自分で着色しているんです。
限られた道具の中で当時の色彩をなんとか表現しようという、その創意工夫が素晴らしいと思う。現代(いま)は、テクノロジーが何でもやってくれる時代だからこそ、なおさら僕も工夫できる余地はないか探しています」

そういって取り出したのは、インスタントカメラのフィルム…と思いきや、よく見ると、ご自身の名刺でした。世界で1枚の名刺は、大井川さんの職業を如実に物語り、ユーモアを感じさせてくれます。
 

サイズ感も、ちょうどいい!フィルムの名刺

追い求めるのは、光

お話していると、飄々としてユニーク、ゆるやかな雰囲気の大井川さんですが、写真のこととなると、とにかくストイック。独立して20年、もはや百戦錬磨の経験をお持ちなのにも関わらず、今でも時間と状況が許す限り、撮影前には現場を必ず下見(ロケハン)し、綿密に照明機材の配置を考えた上で当日の撮影に臨んでいるそうです。
 

長年手掛ける真田宝物館での文化財撮影の様子  緻密に計算された上で照明機材がセッティングされていることが良く分かります。

「光そのものが好きなんだよね、照明にはできるだけこだわりたい」
参考にしているのは意外にも「朝ドラ」だそう。
「朝ドラの撮影は基本全てスタジオ内で行うそうだけど、とにかくライティングの技術がすごい!室内なのに朝の陽ざしと昼の光の違い、四季によって移り変わる微かな陽の当たり方が絶妙に表現されていてとても参考になるんです」
まさか「光」に注目して朝ドラを見ている人がいるとは…!
これまでに手掛けた作品を見せていただくと、なるほど、たしかに。
光と、その対となる「影」の配置やバランスが計算し尽くされていて、まるで被写体が目の前にあるように立体的。その場の温度や空気、香りや味わいまでもが伝わってくるようです。
 

ホテル犀北館のフードフォトの数々(写真1~3)、 中沢定幸さんと取り組んだ「信州・銭湯紀行」シリーズでの1枚(写真4)

根っからの「カメラ小僧」

日々忙しく県内外を駆け回る大井川さんですが、貴重なオフの時間の過ごし方と言えば
「某大手家電量販店のサイトを見て、新しいカメラ機材のチェックかな(笑)」
それだけではありません。
「今でも寝ているときに夢に出てくるのは仕事のことばっかり。撮影現場に遅刻したり、本番でカメラの電源が入らなくてどうしようって焦って飛び起きたりしてね」
と苦笑い。365日そしてほぼ24時間、頭のなかはカメラと写真のことだらけのようです。
たまには離れたくなる瞬間はないのかと尋ねると、
「うーん、なんだかんだカメラをいじっているのが好きなんだよなぁ」と一言。
近年は、カメラ片手に街歩きを楽しむ自治体のイベントに講師として招かれることも多いそうで、そこに「バズーカみたいな、とんでもないレンズとか気合の入った機材を持った参加者さんが来ると、もう『キュンキュン』が止まらないよね。『同じ匂いがする~!』って嬉しくなっちゃう(笑)」
どうやら大井川さんも根っからの「カメラ小僧」のよう。「好き」という純粋な想いが長く第一線を走り続ける原動力になっているのですね。
 

無邪気でユニーク、ときどきシュール。どこか掴みどころのない雰囲気。
なのに、仕事はどこまでも真摯でストイック。
カメラをこよなく愛する無邪気さは、いつまでも少年のよう。
作品の素晴らしさはさることながら、大井川さんの多面的な魅力が、関わる人を惹きつけてやまないのだなぁ、と今回の取材で感じました。
 
今でも常にデザイナーや制作会社、広告代理店から引っ張りだこの大井川さん。
今日もどこかの現場で、大井川さんによる、写真というエンターテイメントが繰り広げられているに違いありません。きっとこれからも、大井川ワールドから生まれた作品たちが長野のまちを輝かせ、鮮やかに彩ることでしょう。
 

携わって10年。4名の写真仲間で撮影している長野マラソンのメインビジュアル撮影 ( アートディレクター/轟理歩さん)

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