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長年愛された地元の店を残すべく選んだ事業承継の道

川久保源一さん

美和子さん

塚田到さん

カナダ屋

メインビジュアル

長野市街地からもアクセスしやすい飯綱高原で、創業40年を超えた今も根強いファンから愛されている洋食店「カナダ屋」。2024年、長年親しんできた馴染みの味を受け継ぎたいと名乗り出たのが、飯綱高原で生まれ育ち、長年この店に通い続けてきた塚田 到(いたる)さんです。「大好きな店を残したい」という思いが、親族間ではない第三者承継につながりました。

文・写真 島田 浩美

本場のステーキをはじめとした洋食が味わえる人気店

「初めてステーキを食べたのは『カナダ屋』だった」。そんな思い出を持つ飯綱・戸隠方面出身者は、少なくないのではないでしょうか。かくいう私も、飯縄山の麓で育った幼少期に「カナダ屋」でステーキデビューを果たした一人。ボリューム満点のアメリカンスタイルのステーキは、見た目のインパクトも食べ応えも十分で、家族でちょっと緊張しながら食べた“よそゆきの味”として印象に残っています。

熱々のプレートで提供される分厚いサーロインステーキ。トッピングのオリジナルバターも人気のポイント

ステーキのほか、エビフライやグラタンなども人気ですが、ファンが多いのがトルコライス。「大人のお子様ランチ」のようなビジュアルで、満足度が高い一品です。また、オリジナルのドレッシングがたっぷりかかったスモークサーモンも評判で、どのメニューもまんべんなく注文が入ると言います。いずれもボリュームがあって豪快な盛り付け。リピーターも多く、近隣で暮らす人はもちろん、遠方から毎年やってくる人や、親子3代で通う人もいるそうです。

一つの皿に、エビフライ・ハンバーグ・カレーライスを盛り合わせたトルコライス
スモークサーモンは、少し酸味のあるドレッシングがよく合う
木のブロックに書かれたメニュー表も「カナダ屋」ならでは

長年、調理を担当してきたのが、店主の川久保源一さんです。その傍で、妻の美和子さんがテキパキと接客をこなす営業スタイルは変わりませんが、近年の大きな変化が、源一さんが車椅子を利用するようになったこと。聞けば、源一さんは80歳、美和子さんも71歳。「なくなってほしくない店は、店主が元気なうちに通わないといけないな」なんて思っていた矢先、耳に届いたのが「長年『カナダ屋』のファンだった若手シェフが後継者として働き始めた」という朗報でした。そのシェフこそが、35歳の塚田 到さんです。

飯縄山の南斜面に位置する旧「飯綱高原スキー場」前に佇む「カナダ屋」
近所に住み、子どもの頃から家族で「カナダ屋」に通っていたという塚田さん

「カナダ屋」の創業は、昭和50年代前半。当初は長野駅前にありました。源一さんは松本市出身で、東京で飲食のキャリアをスタート。派手な鉄板焼きのパフォーマンスで昭和の時代に一世を風靡したレストラン「紅花(BENIHANA)」で働き、同店が全米80店舗、世界で110店舗を展開するなか、源一さんも渡米して、アメリカの店舗で1年間、さらにカナダの店舗で2年間勤務し、帰国しました。そして、手頃な価格で借りることができた長野駅前のビルの一角で開業したのです。

アメリカやカナダの「BENIHANA」で鉄板焼きの技術を磨いた経験が「カナダ屋」につながっている

数年後、以前から「山に近い場所で経営したい」と考えていたことから、昭和57(1982)年に現在地に移転。友人から「飯綱高原なら長野市街地から遠すぎないので通える」と言われたことが決め手になりました。
 
当時はまだ独身で、調理も接客も一人で行っていた源一さん。そのスタイルは独特で、常連客だった美和子さんは「入店すると、前のお客さんの皿がテーブルに残っているのに、もう(源一さんが)料理を作り出しているんだよ。仕方がないから、みんなで片付けたよね」と、ユーモアたっぷりに振り返ります。

「カナダ屋」が飯綱高原に移転した当時は、近所のホテル「アルカディア」で、住み込みで働き、仕事仲間と「カナダ屋」に通っていたという美和子さん

そんな店主と常連客の関係を経て、二人は結婚。美和子さんが接客やホールを担当する二人体制になり、大サイズ一択だったステーキを、女性客も食べやすいようにグラム別で提供するなどのアイデアを提案し、現在のメニュー構成を確立していきました。店はバブル景気に後押しされ、スキーブームも相まってスキー客も多く来店し、繁盛したそうです。

食後のアイスクリームは開業当初から人気だったが、アボカド味(右)は、美和子さんが考案

その当時、小学生だった塚田さんも、2~3カ月に一度は家族と「カナダ屋」に食事に来ていたそう。しかし、順調に経営を続けていた平成13(2001)年3月、事態は一変します。飯綱高原スキー場のシーズン営業最終日の仕事中、源一さんが脳梗塞で倒れてしまったのです。

次々と襲われる病。ままならない経営と寄る年波

源一さんは1年間入院し、店は休業。2002年に再開しましたが、料理の腕は衰えていなかったものの、後遺症でしばらく数字が理解できず、カットするステーキのサイズが安定しなかったそう。美和子さんは提供のたびに機転を利かせ、まさに二人三脚での経営となりました。
 
「ステーキのカットが小さい時は値下げして、大きい時は仕方ないから『サービス』って。退院後の1年間は厳しかったよね。でも、お客さんが待っていてくれているのがありがたかったね」(美和子さん)
 
ところがその後、源一さんは心筋梗塞や胆嚢炎などでも倒れ、2010年までの間に5回も救急車で運ばれることに。そのたびに入院して半年ほどの休業を余儀なくされ、復帰後はメニュー数が限られたこともありました。中学生になった塚田さんが家族で食事に来たある時は、コンビメニューの1種類のみの提供だったとか。
 
「源さん(源一さん)の動きがスローになっていて、大丈夫かなと心配していました。でも、ご飯はおいしかったんですよね」(塚田さん)

脳梗塞から復帰後も麻痺は残らず、調理はできたという源一さん。その仕事ぶりを見た主治医は「運がいい」と驚いたそう
源一さんが病で倒れた際、移転時の融資の返済がまだ残っていたことから、美和子さんは相当な不安があったとか。とはいえ「倒れる1カ月前に偶然、保険会社の訪問営業があって生命保険に入っていたことで助かったよね。保険会社からは詐欺を疑われたけど(笑)」と明るく笑い飛ばす

ここ数年は、源一さんの健康面は落ち着いているそうですが、足腰が弱って車椅子を利用するようになったり、美和子さんもつまずくことが多くなったりと、体力の低下を感じていました。さらにコロナ禍での休業が、気持ち的にも追い打ちをかけました。
 
「いつ、どうやってやめようかと考えたりもしたけど、本人(源一さん)は死ぬまで働きたいという思いもある。それでも、このままではただ先細りするだけだから、去年の夏あたりから限界だなと。その頃に来たお客さんには『来年はもう店をやっていないかもしれない』と伝えていました」(美和子さん)
 
そんな二人の様子を、長年の常連客として間近で感じ取っていたのが塚田さんです。そして、まさに昨夏、「カナダ屋を継ぎたい」と直談判したのです。

源一さん・美和子さんと親子のように気さくに話す塚田さん
店内一角には、近所の人からもらうというたくさんの野菜が。取材中に持ってくる人もいて、近隣から愛されている様子が伝わってくる

「終わらせたくない」一心で後継者に

塚田さんは高校卒業まで飯綱高原で暮らし、静岡県の大学に進学後も、年数回の帰省のたびに「カナダ屋」で食事をしていました。就職後は関東圏で7年間サラリーマン生活を送り、退職。1年間の海外放浪のなか、アイルランドの寿司屋で働き、帰国後は実家に戻って、信濃町の野尻湖畔にある宿泊施設「LAMP(ランプ)」のレストランで5年間、調理を担当しました。

「LAMP」時代の塚田さん

そして、変わらず「カナダ屋」に通うなかで、源一さん・美和子さんが大変そうに働く姿を見て、「これからどうするの?」と長らく気になっていた疑問を二人にぶつけたそうです。
 
「返事は『店は閉めないけど、そんなに意欲もない』という雰囲気でした。それはもったいないな。『じゃあ、俺がやります』と伝えました。『LAMP』は忙しくて楽しい職場でしたが、とにかく『カナダ屋さんを継ぎたい』という思いでした」(塚田さん)

それを聞いた美和子さんは、当初、塚田さんの本気度がわからず「本当にこんな店やるの?」と半信半疑だったとか。それに、長年、二人で頑張ってきたものの、病やコロナ禍で経営がままならず「儲からない」という現実。塚田さんを養い、生活を保証できるほどの売上は見込めませんでした。しかし、塚田さんが独自に売上を計算し、仮説と目標を立てる様子を見て、後継者として塚田さんに営業を任せることを決めました。

月々の売上を計算し、売上目標を定めていったという塚田さん

こうした経緯を経て、2024年6月から「カナダ屋」で働く塚田さん。料理は源一さんが作ったレシピブックも参考にしつつ、1カ月間で源一さんの技を見て覚え、今では完全に塚田さんが一人で調理を担当しています。
 
「今思うと、到くん(塚田さん)が継ぐのは、今年じゃなきゃダメだったね。来年だったら調理を教えられなくなっていただろうし、店を畳んでいたかもしれない。それに、去年だったら『まだ自分でできる』なんて偉そうなことを言っていたかもしれない。タイミングがよかったよね」(美和子さん)

料理は源一さんがこだわって作っていたことから、調理には一切関わらなかったものの、キャベツの千切りだけは任されていた美和子さん。塚田さんに代替わりした今でもキャベツのカットは美和子さんの担当

源一さんと二人体制だった頃は、洗い物が深夜まで終わらないこともあったそうですが、塚田さんが入った今は数十分で終了。さらに心配していた売上も、塚田さんが立てた目標を順調にクリアしています。以前は一切宣伝をしていませんでしたが、塚田さんが始めたSNSをきっかけに来店する人が増えたり、「LAMP」の仕事仲間や馴染み客が来てくれたりと、集客も着々と伸びています。
 
「到くんは、自分の分は自分でちゃんと稼いでいる。本当に売上は本人次第だよね。すごい救世主が来てくれたなと思います」(美和子さん)

二人では大変だった机の移動やセッティングも、塚田さんが入ったことですぐにできるように
今は源一さんはアドバイザー的立場になり、塚田さんと美和子さんの二人体制で切り盛りしている

今後、美和子さんはあと4年、75歳になるまで働き、塚田さんをサポートしていくそう。その4年間で塚田さんは売上を安定させ、先々まで長く営業を続けていくことが目標です。
 
「平日も休日も、お客さんがちゃんと来てくれる店にしたいですね。そのためにも、まずは土台を作ることが今の一番の目標。そして、新規のお客さんも増やしつつも、無理はしない。それでお客さんに喜んでもらえる店になり、10年、20年と続けていきたいですね」(塚田さん)
 
目先を変えた流行りの店もいいけれど、変わらぬ味が待っている。そんな店は、誰にとっても安心感が得られるものです。長く愛されてきた料理は、こうして世代を超えて受け継がれていきます。

会える場所

カナダ屋

長野市上ヶ屋2471-2339

電話:026-239-2831

Instagram:https://www.instagram.com/canadaya_nagano/

Instagram:リンクはこちら

営業:12時〜14時、18時〜20時
不定休

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酒井 慎平さん

株式会社 SATOKA (サトカ)代表取締役

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