足と靴の修理店 DecoBoco中尾勇哉さん
横浜市出身

長野市街は歩ける範囲でなんでも買いに行けるコンパクトさが気に入っています。妻とふたりでよく散歩をするのですが、夜の善光寺は最高です! 身近に国宝があって自由に出入りできるなんて、なんて豊かなんだろうと思います。

1987年生まれ、横浜市出身。大学卒業後、浅草にある製靴学校で靴作りを学ぶ。いったんは靴修理の会社に務めるが、東日本大震災を機に地方での暮らしを志し、2012年に小川村の地域おこし協力隊として着任。再び地震を機に、2015年に長野市へ移住。2017年、妻の春子さんとともに足と靴の修理店「DocoBoco」を開業する。
移住までの道のり
2012 | 小川村の地域おこし協力隊員に着任 |
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2015 | 長野市へ移住 |
2016 | 春子さんと結婚 |
2017 | 権堂で足と靴の修理店「DecoBoco」を開業 |
小川村の地域おこし協力隊員に

横浜市出身の中尾勇哉さんは、大学卒業後、東京・浅草にある製靴学校へ進学し、靴作りを学びます。手に職をつければどこでも食べていけるだろうとの思いと、靴磨き職人を取り上げた新聞記事を目にしたことがきっかけでした。
在学中から靴修理会社でアルバイトをはじめ、卒業後はその会社に就職しました。いずれは独立したいとの思いを抱きつつ、2011年3月11日の東日本大震災を機に、地方への移住も考えるようになります。
そして長野県・小川村の地域おこし協力隊員に応募して、2012年4月に着任、小川村へ移住しました。築250年の古民家を借り、住居 兼 ゲストハウスとするべく掃除と改装に取りかかります。
村の人たちだけでなく、Facebookをとおして中尾さんの取り組みを知った友人たちも応援してくれました。その中には、中学の同級生であり、当時、横浜市内の病院で作業療法士として働いていた春子さんがいました。春子さんは休日のたびに小川村を訪れ、中尾さんを手伝うようになります。
ゲストハウスを運営しながら村での暮らしに溶け込むと、中尾さんは2015年3月の任期終了後も村で暮らし続けるため、靴修理の仕事との両立を模索するようになります。その矢先、再び大きな地震が中尾さんをおそいます。
長野市で靴修理店を開業

2014年11月。白馬村を震源とする神城断層地震では、小川村でも震度6を観測し、中尾さんの住む古民家も半壊。ゲストハウスの再開はおろか、居住も不可能となりました。
いったん横浜へ戻った中尾さんは、全国展開する大手靴修理企業で働きはじめます。しかし長野での暮らしをあきらめたわけではなく、靴修理人として再び研鑽を積み、独立するためでした。2015年9月には長野市の店舗へ転勤となり、移住を果たします。
そして2017年10月。いよいよ独立して、権堂にある小さな空き店舗を改装し、足と靴の修理店「DecoBoco」を開業しました。かたわらには、フットケアトレーナーの資格を取得し、妻となった春子さんがいました。
長野市は、移住者の起業や空き家活用にかかる支援制度が充実しており、「それがとても助かった」と中尾さん。また「人混みは好きではない」という中尾さんにとって、商売をするにも暮らすにも、長野市はちょうどいい大きさでした。
「10年前には権堂にも靴修理の店があったそうですが、今はもうありません。全国一律のサービスではなく、みなさんそれぞれの足と靴と向き合って、自分たちならではのご提案をする。ここでなら、それができると思いました」
歩いて回れるコンパクトな街

じつは中尾さんは、車を持っていません。店舗すぐ近くに部屋を借り、買い物は歩ける範囲で済ませます。「長野は駅前でも産直の野菜が手に入るし、権堂でも生鮮品が買えるし、特に困ることはありません」と春子さん。
山へ行きたくなったら友人の車に便乗して、街での暮らしも自然の中での息抜きも満喫しています。
「長野はどこへ行くにも車を使う車社会のせいか、自分自身の足や靴に注意が向いていない人が多いと感じます」。そんなこともまた起業の動機につながりました。
「本当の目的は、みなさんの足に合ったより良い靴と、その履き方を提案すること。たとえばニューバランスなどのスニーカーにインソールを加えるとか、長距離を走る人のため、足の痛みを未然に防ぐとか、そんな提案もしていきたいです」
靴修理人の夫と、フットケアトレーナーの妻。並んで立つと屋号どおり凸凹(デコボコ)のふたりですが、二人三脚の足元は万全で、どんな起伏も乗り越えていけるはずです。
