長野市復興だより

歴史に学び、より安心して暮らせる地域へ

長沼歴史研究会 笹井妙音さん

令和元年東日本台風による千曲川堤防決壊で、甚大な被害を受けた長野市津野の曹洞宗妙笑寺(みょうしょうじ)。住職夫人で長沼歴史研究会会長の笹井妙音さんに、復興への取組状況、今後の課題について伺いました。

多くの支援への感謝を胸に

この地域は水害の常習地帯なので、私が嫁いでからも大雨が降って堤外の畑が水に浸かることは度々経験してきましたが、今回の被害は誰も想像しなかったことでした。お寺の方は被害が大き過ぎて復旧も復興もまだまだ時間がかかります。古い資料など失った物も多く、全てが元通りという訳にはいきませんが、できるだけ元に近い状態に戻せるように、多くの方々に支えられながら頑張っています。
先日は、地域住民とボランティアの方達で構成する「長沼復幸会」で月遅れの端午の節句に合わせて200食のお弁当とちまき、柏餅を用意したところ、地域の人が喜んで取りに来てくれました。今まで受け身だった被災住民も一緒に参加するなど徐々に自ら立ち上がれるようになってきました。被災直後からずっと支えてくださっているボランティアの方には感謝の気持ちでいっぱいです。

被災直後から多くのボランティアが駆け付けてくれた

 

歴史は地域の共有財産

10数年前、地域の歴史を知りたくて、長沼城について調べ始めたことがきっかけで、長沼歴史研究会を立ち上げました。武田信玄ゆかりの長沼城については未解明部分が多く、史料収集も大変でしたが、古い史料から城を中心とする地域の歴史を紐解いていくと、多くの発見と学びがありました。過去の度重なる水害で、長沼城と城下町はほとんど跡形もなく流されてしまいましたが、残された歴史を地域の財産にしたいと思って活動を続けてきました。 築城400年記念の2016年からは長沼小学校6年生の郷土学習で、水害を含めた地域の歴史とともに、人間が造ったものに完璧なものはないこと、自然にはかなわないことなどを伝えています

天保時代に彫られた御神籤の版木。どうしても残したい、と泥の中からボランティアとともに拾い集めた

未来のために伝え続ける

地域の歴史は、先人たちからのメッセージです。過去2番目の水位を柱を刻んだ令和元年の大水害。その背景などについても、歴史から多くのヒントを得ることができました。多くのものを失くした今、胸を痛めることも多々ありますが、残ったものを大切に未来につなぐことも重要と考えています。この経験から得た教訓を含め、長沼の歴史をこれからも地域の子供たちに伝えていきたいと思います。

妙笑寺の参道には過去の水害の水位を記録した柱が建っている

 

長沼歴史研究会

住所 長野市大字津野849(妙笑寺)
TEL 026-296-9621