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ながのを彩る人たち

CULTURE

人の
営みへの敬意

80年以上も守り続ける「絶滅危惧商売」

浅野いずみさん

浅野和弘さん

東京堂模型店

メインビジュアル

善光寺の表参道、問御所町信号から西へ70mほど進んだ角に、映画のセットのような、なんともノスタルジックな建物があります。周りにはにぎやかにのぼりが立っているので、現役の店舗であることは確か。聞けばこの地域の子どもたちはみんなお世話になったのだという、歴史ある「東京堂模型店」に、取材を試みました。

文・写真 吉田 淳子(株式会社ビー・クス)

昭和のワクワクが詰まったワンダーランド

入り口の扉を開けたその瞬間から、ぐぐっとタイムスリップしたかのような世界。右にも左にも鉄道や車、飛行機などの模型が陳列され、部品や塗料など専門的な材料も山ほど並び、まっすぐ前に進むのも容易でないほど。お年玉を握りしめ、ワクワクが止まらない少年のような気持ちになります。入り口のドアと連動したチャイムが鳴ると、カウンターの奥からこわもてのご主人があらわれました。
 

「うちは、ネットでの販売は一切やっていないんだ。『顔』を見ての商売が基本だからね」
 

こちらの背筋が正される、一見(いちげん)さんには厳しそうなご主人に一瞬たじろぎながらも、「こわい店主」それすらも懐かしい要素のひとつだと、ある意味感動がこみ上げます。
 
素人にもわかりやすいアイテムといえば、左の壁にうずたかく積まれているプラモデルの箱。どれもデッドストックではなく、実は今どき人気のラインナップだそう。飛行機や戦車、車、バイク、お城まで幅広い品揃えです。
 

スーパーカーから戦車、戦闘機など、幅広いプラモデルのラインナップ

「品揃えは、自然とお客さんの欲しいものになってきてますね。出る(売れる)ものは、時代やタイミングによってあるみたい。戦艦が流行っていたときなんかは戦艦ばかりたくさん出ましたよ」
 

そうふんわりお話されるのは、この店の3代目オーナー・浅野いずみさん。
創業は、昭和17年。営業開始から83年になる東京堂模型店は現在、浅野いずみさんと夫の和弘さんが2人で営んでいます。
 

東京模型堂3代目の浅野いずみさんと、ご主人の和弘さん

創業83年の老舗模型店

いずみさんのお父様の叔父さんが創業したという東京堂模型店。プラスチックなどない時代、模型の材料はすべて「木」でした。プラモデルやラジコンで知られる「TAMIYA」など、プラモデルメーカーの多くも、もとは材木屋だったそう。その昔は学校の授業で模型飛行機の制作があったこともあり、当時は各学校へ教材を配送したり、文房具店や商店に卸したりもしていたそうです。
 

「昔は従業員さんが何人もいて、県内の遠い場所まで配達をしていたんですよ」
 
ここで生まれ、「模型屋の娘」として育ったいずみさんですが、中学時代に体調を崩してから、一般企業に就職するも体を壊しがちだったといいます。23歳のころ、お店の従業員が1人退職したのを機に「店を手伝わないか」と言われ、店番をするようになりました。
 

「猫よりまし、だったんでしょうね(笑)。お客さんにパーツのことを聞かれても、何を聞かれてるのかわからなくて、大変でした。でもこの店は好きな人が目的を持って来るので、やりとりするうちにお客さんからいろいろ教えてもらって。売れるもののヒントを少しずつつかみました」
 

「おもちゃ屋」ではない、模型店のこだわり

いずみさんが中高校生の頃、ファミコンやテレビゲームが台頭した時代も、店主であった父はあくまでも「模型店」にこだわり、ゲームなどは一切扱わなかったそう。爆発的に売れたガンダムのプラモデル「ガンプラ」も、ラジコンも、現在は取り扱っていません。
 

「昔は『おもちゃ屋』って沢山あったんです。駅からここまでの間にも3~4軒はありましたよ。でも大手のおもちゃ量販店が地域に参入して来て、みんなやめてしまいました」
 

当時、ラジコンやプラモデル本体を量販店や通販で買ったものの、部品や材料など細かいものは入手が困難で、「東京堂へ行け」と案内されて来たお客さんもいたそうです。
 

部品や材料もハンパない品揃え

横浜での暮らしと事業継続の危機

お父様は晩年、年金を受給する傍ら店を経営しており、「無理してやるもんじゃない」と事業の承継は望んでいませんでしたが、いずみさんには「何かの時は頼むな」と言っていたそうです。
 
夫の和弘さんは、実はKATOという世界的に有名な鉄道模型メーカーの営業マンだったそう。東京から営業に来た際にいずみさんと出会い、2002年に結婚。その後しばらくお二人は、和弘さんの出身地である神奈川県横浜市で暮らしていました。
 

「この頃は、主人の仕事の関係で業界の展示会に出かけたり、模型イベントの手伝いをしたり。たくさん模型を見て、長野にいるときより業界のことに詳しくなりました(笑)。一方で、長野を離れてみて、自分が今まで見てきた山に囲まれた風景は、どこでも見られるものじゃないんだなって、長野の良さがわかりましたね」
 

ところが2013年、1人で店を営んでいた父が転倒して骨折し、入院。店は一時閉店したものの、先々の予約商品が入荷したり、決算の必要があったりで、いずみさんは1年ほどの間、横浜から定期的に長野へ通って店のフォローをしていました。
 

「決まった日に来て店を開けていましたが、本当に閉めてしまったら再開は難しいなと感じていたんです」
 

なんとか退院はしたものの、ケガを押して自宅から店までマニュアル車で通う父の姿を見ていられなくなり、いずみさんは事業の承継を決意。和弘さんは会社を早期退職し、長野に来て一緒に店をやってくれることになりました。その年の決算が終わった2014年8月1日、正式に3代目となりました。
 

店内には亡き先代を偲ぶコーナーも。

実際に経営してみると・・・

6年前に亡くなるまで、父と娘はケンカをしながらも店を切り盛りしてきました。引き継いで11年目になりますが、手伝いと実際の経営では、まったく違うといずみさんは話します。利益を出すためのやりくりがこんなに大変だとは!「だからやめろって言ったじゃないか」「ほら見たことか」と父に言われながらも、なんとか乗り越えてきたそうです。
 

「発注作業に、銀行とのやりとりに、その日その日でいっぱいいっぱい。それでもお客さんをはじめ、近所の方々にたくさん助けてもらって、ここまで来ることができました。新聞記事にしていただいたこともあって、『応援してますよ!』って来てくださる方がいたり。長くやっているといろんなことがありがたいです。『絶滅危惧商売』って主人には言われていますけど(笑)」
 

ミニ四駆のイベントが大盛況!

来店する客層は主に成人男性ですが、子どもにも模型をつくる楽しさを知ってもらおうと、2018年から「親子ミニ四駆」のイベントを始めました。権堂イーストプラザ(長野市権堂)に相談したところ、職員の方が乗り気になってくださったということで、年3回開催し、今回16回目を迎えます。当初はあまり参加者が集まらなかったものの、学校関係への広報などが功を奏し、現在ではエントリーが30組、見学者を含めると100名ほどが参加するイベントとなりました。昨年はテレビにも取材されたそうです。
 

40年ほど前に一世を風靡した「ミニ四駆」。その後何回かの波を経て、今も静かに熱いブームが続いています

同イベントのタイムトライアルのレースは、アンダー18の部門と保護者部門に分かれ、それぞれ2周したマシンのタイムを競うもので、入賞者にはメダルと賞状、さらに豪華景品が授与されます。コースを走らせるのは「自分でつくったミニ四駆」というレギュレーション。自作の車体をチューニングしながらフリー走行で調整する手練れの中高生や、子どもにかこつけて夢中になる微笑ましいお父さんたちの姿がたくさん見られました。
一室で開催するミニ四駆の制作体験教室は、一緒に組み立てを楽しむ親子でいっぱい。奥には東京堂の出店があり、車体や部品の販売コーナーではいずみさんがお客さんの対応に大忙しでした。
 

今回も大盛況だったミニ四駆イベント。制作体験コーナーは満席!

文化が多様化し、個人の趣味も細分化され、みんなが同じものを喜ぶ時代ではなくなっています。そんな中でも、モノづくりの楽しさを身近に体験できる「模型」を愛する層は確実に存在し、また未来の芽も少しずつ育っているのを感じます。
 

「これまで支えてくださった方たち、好きな方たちに喜んでもらえるように、自分たちが元気でいる間は続けていきたいと思います」
 

ノスタルジックなお店の外観は、そのまま模型のモデルになり、鉄道模型メーカーのKATOからNゲージのジオラマ用ストラクチャーとして、現在も販売されています。
つくるをつなぐ、東京堂模型店。時代の記憶に残るだけでなく、どうか次代に残るお店であってほしいと願います。
 

KATOが販売する同店がモデルの模型。「東京堂」の看板に掛け替えたオリジナル商品は、店頭のみで限定販売中。

会える場所

東京堂模型店 ((有)東京堂科学模型教材社)

長野市西後町624

電話:026-232-5035

ホームページ:https://www.nagano-saijiki.jp/shop/shop.php?n=34

ホームページ:リンクはこちら

営業時間:10:00〜18:00
定休日:毎週木曜

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