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ナガラボはながのシティプロモーションの一環です

No.030

竹村

碩敏さん

たけむら ひろとし

テーラー竹村

働く男の心強い味方

文・写真 Yuuki Niitsu

「スーツは働く男のステータス」

こう話すのは、長野市上千歳町で昭和11年創業の、働く男性の身だしなみを支えてきた「テーラー竹村」の紳士服仕立て職人、竹村碩敏さんです。
竹村さんはこの店の二代目。18歳から仕立ての道に入り、5年ほど東京で修業したのち、実家のお店で働き始めました。キャリアはこの道53年の大ベテラン。
当時は、従業員を含め7名ほどで働いていたため、仕事は分業制でした。3日に1度は、ながの東急で採寸を担当し、残りの日はお店で裁断をしたりという日々を送っていました。最盛期の年間製作数は150着を上回っていたそうです。

時代が変わり現在は、全ての工程を一人でそれも全て手仕事で行っています。大量生産、薄利多売がうたわれ機械生産が主流になっているこの時代に、竹村さんのような存在は非常に少なくなってきています。その数は、日本でもごく僅か。

「見えない部分をいかにしっかり縫うか、これがオーダーの神髄。手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。でも出来たスーツは全然違うから」

手作業での良さは、しっかり縫うことで着くずれせず、より立体的に見せられるということだそうです。
優しい表情が印象的な竹村さんですが、この時ばかりは顔が引き締まり職人としての顔になりました。

スーツ製作の工程はこうです。まず、お客さんの寸法を測りそれを紙に写して形紙を作ります。これを製図と言います。その形紙を布に合わせ、裁断。そして、仮縫いをしたあとお客さんに着せます。その後、印をつけたうえで糸をほどいて、平らな布にします。これを補正と言います。袖丈や背丈の微調整をし、最後にボタンやポケット全体の縫い付け(本縫い)をして完成となります。

作業において一番重要なのは、形紙の工程だそうです。形紙にサイズを間違えて記入してしまうと、全てが違ってくるということで最も神経を使うところです。
また作業の中で最も難しさを感じる点については、こう答えが返ってきました。

「生地の表、裏、それから中に入っている芯が三位一体になるように縫わないと、たるみが出てきてしまいヨレヨレのだらしないスーツになってしまう。ここが一番難しいね。」

見えない部分をいかにしっかり縫うかで完成度が全然違うという

このように精細で根気の要る作業を手作業でおこなうため、1着を製作するのに要する期間は1週間とのこと。年間50着ほどを完成させるので、ほぼ毎日休みなくスーツを作っている計算になります。忙しい時は徹夜で仕事をすることもしばしば。そのため「ラジオは友達」と竹村さんは言います。
そんな竹村さんにとって、毎日顔を合わせるスーツの存在は

「人生そのものであって、男のステータス」

こう言い切る竹村さん。ステータスの証と言えば車やマイホームなど人それぞれですが、スーツに今までかなりの金額をかけてきた常連のお客さんもいるそうです。
また別のお客さんとの間にはこんな印象深いエピソードがあったといいます。

「東京の高級ホテルで食事をしていたそのお客さんが、ウェイトレスにスーツを汚されちゃったんだってさ。で、そのスーツをクリーニングに出すからって、ウェイトレスに預ける時に、うちのスーツを着てきて本当に良かったと思ったって。だって安いスーツじゃ顔が立たないからって、そのお客さんは思ったらしいんだよ。これを聞いたときは、スーツ作っていて良かったと思ったね。」

スーツを汚されたことは不運でしたが、着ていたのが竹村さんの作ったオーダースーツで運が良かったというお客さん。

「男は、身だしなみをしっかりすると仕事ができる。その手助けをしていることに誇りを感じるね」

胸を張って話す竹村さんは団塊の世代。戦後の高度経済成長、バブル経済、そして失われた20年と共に日本経済を生き抜いてきました。その同世代の働く男たちを陰から支えてきたのだという誇りを感じました。
そして、もう一つ竹村さんがこの仕事に誇りを持っている理由として18歳から5年間働いた「貝島服飾研究所」の存在があるそうです。

「ここの創業者は貝島正高という人で、服飾界の天皇陛下みたいな存在。初めて業界専門書を出した人でもあり、全国からたくさんの人が貝島先生の技術を身に付けに集まってきた。ここでの5年間が本当に大きい。」

この研究所は名前には研究所と付いていますが、実際は工場で働きながら技術を身に付ける場所だったそうです。1年目は雑用担当。2年目からはズボン縫い。ようやく3年目から上着を本格的に縫い始めて、5年かかり貝島先生から技術を習得したそうです。長野県で最初に貝島服飾研究所に入ったのが竹村さんだったそうで、ここでの5年間が今の竹村さんの礎になっているそうです。常に初心を忘れない気持ちの表れからか、現在の仕事場には貝島正高氏の大きな写真が飾られていました。

一番難しい形紙を作る工程。僅かなズレも許されないため最も神経を集中させる

取材中、終始足を組みながらスラックスにYシャツにベストにネクタイ、というフォーマルな姿でスマートにお話をするダンディーな竹村さん。普段からちょっと外に出る時でも、スーツを着るなど身だしなみには気を使っているとのことでした。
そんな竹村さんに今スーツを作ってみたい人を聞いてみました。

「特に誰ってわけじゃないけど、やっぱり時の人とかおしゃれに興味のある人に着てもらいたいね」

70歳を過ぎた竹村さんの眼には今もなお、”流行”という二文字が映し出されていました。

取材中、竹村さんからは「ステータス」という言葉が何度も出てきました。戦後の日本経済と共に生きてきた団塊の世代は、日本を引っ張ってきたと言われています。竹村さんもその世代。そんな世代だからこそ、このステータスは働く男の存在意義だったのかもしれません。

今、団塊の世代から次の世代に続々とバトンが渡されています。
そんな社会で闘う男たちのスーツを、今日も黙々と作る竹村さんの姿がそこにはありました。

作業場には尊敬してやまない貝島先生の写真が飾られている

(2014/06/13掲載)

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