えっ、冬に花火大会?!「えびす講煙火大会」

画像:えっ、冬に花火大会?!「えびす講煙火大会」

冬だからこその魅力

「えびす講煙火大会」は秋も終り、冬の入口の時期に開催される花火大会です。
冬の花火大会と聞くと、皆さんはどんなことをイメージするでしょうか。「寒そうだなあ」なんて思う方がいるかも知れません。そうなんです、寒いんです。でも寒いからこその楽しみ方があるんです。

観覧の様子

観覧の様子

花火を観るために土手に敷物を広げて・・・、というところまではよくある花火大会の姿ですが、「えびす講煙火大会」ではここからが大きく違います。ある人は、持参した毛布にぐるぐるにくるまり枕を敷いて寝転がって観る。またあるグループは、敷物の上にセッティングしたコタツに入ってぬくぬくしながら観る・・・等々、ここには夏の花火大会とはまったく違った花火見物の楽しみがあります。もちろん、あったか~いものを食べたり飲んだりしながら観るのもお楽しみのひとつ。ずらっと立ち並んだ屋台は、定番の焼きそばやお好み焼き等はもちろん、おでん、もつ煮込みといった冬にうれしいものも揃い、何を買おうか迷ってしまうほどです。
そして、もうひとつ冬ならではのメリットがあります。それは、風景をも"きりっ"と引き締めるような冬の澄んだ空気。この空気が花火大会にはもってこい。透き通った夜空にきらきら輝く大輪の花の美しさ、それはもう格別です。

すらっとならんだ屋台

何を隠そう、由緒ある大会です

「えびす講煙火大会」は全国的にもめずらしい冬の花火大会ですが、とても由緒のあるものです。長野の花火は江戸時代から盛んであったと伝えられ、当時の記録によれば「商店、旅館の繁盛は云うばかりでなく料理店、飲食店は客で充満し、遂にはどこへ行っても芋の煮ころがしひとつ買うことの出来ぬほどの盛況を呈せり」と、その賑わいのすごさが記されています。
そしてまた、長野には、今日の芸術ともいえる花火の礎を築いたといえる、腕の立つ煙火師達もいました。

藤原善九郎
藤原善九郎(ふじわらぜんくろう)

藤原善九郎(ふじわらぜんくろう)(1870~1923年)は上水内郡安茂里村(現長野市安茂里)に生まれました。1915年(大正4年)に長野県煙火組合を創設し、長野県花火師の仲間の中心、指導者として活躍。花火技術の改良に取り組み、初めて打ち上げ花火に色をつけ、また初めて尺玉の打ち上げに成功しています。

青木儀作
青木儀作(あおきぎさく)

青木儀作(あおきぎさく)(1889~1965年)は上水内郡安茂里村差出(現長野市安茂里差出)に生まれました。1916年(大正5年)に花火製造業に専念する花火師となり、1928年に多重芯割物(八重芯菊花火)の製法を完成させ、各地の花火競進会で優勝の成績を重ね「紅屋青木」の名は全国にとどろくに至りました。日本の花火を最高芸術品にまで昇華させた功労者であったため、1959年(昭和34年)に黄綬褒賞を受章し、これに伴い1961年(昭和36年)には日本煙火芸術協会が誕生し、青木が会長に就任しました。

自慢は花火のクオリティ

すでに大正時代には、「えびす講煙火大会」は煙火師を厳選し、腕が未熟な者の参加を許さなかったことから、全国の煙火師にとってこの大会に参加することは"出世煙火"といわれるようになりました。
今日では各地で花火大会が開催されていますが、「えびす講煙火大会」は今でもその質の高さは全国でもトップクラスです。また、近年は全国屈指の煙火師を招いての新作花火コンテストなど新しい試みにも取り組み、全国の花火ファンを魅了し続けています。
ちょっと(たっぷり?)厚着をして、えびす講煙火大会にいらしてみてください。きっと今まで知らなかった・気づかなかった花火の魅力に出会えるはずです。

えびす講煙火大会公式ホームページhttp://www.nagano-cci.or.jp/ebisukou/

(2014.07.31 掲載)