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#21

SOPHOLA株式会社 代表取締役社長飯野正紀さん

東京都出身
SOPHOLA株式会社 代表取締役社長 飯野正紀さん
長野でよかった! Iino's Voice

人のやさしさに触れて、暮らしが豊かになりました。東京は忙しいからか、ちょっとしたことを大事に扱えない人が多いですが、ここは違います。それと、野菜をはじめ食べ物がうまい!

Profile

1982年、東京都生まれ。米国留学(ユタ大学院数学科)を経て、帰国後は複数の大手デジタルマーケティング* 企業に勤務し、新規事業責任者等を務めた。2018年、長野市へ移住と同時にSOPHOLA株式会社を創立。(市の移住者起業支援金制度を利用してコーポレートサイトを制作。)

* デジタルマーケティング:
Webサイト、Eメール、SNS、スマートフォンアプリなどから得られる消費者のデジタルなデータを活用して、「商品やサービスが売れる仕組み」を作ること。

移住までの道のり

1982東京都生まれ
2003渡米(カリフォルニア州→ユタ州)、留学
2010帰国、東京都で暮らし、複数のデジタルマーケティング企業にて勤務
2018長野市へ移住、起業

「長野での暮らし」と「35歳までの起業」という願いを同時に叶える

2018年4月、長野市で創立されたデジタルマーケティングのコンサルティングを行うSOPHOLA株式会社。創業者で代表取締役の飯野正紀さんは長野市に移住するとほぼ同時に、この会社を立ち上げました。東京と長野を拠点としながら、欧米の最先端のAI技術を用い、日本企業のマーケティング活動を支援する事業を軸にしています。

長野で暮らしたいという思いと、35歳までに起業したいという思いを同時に叶えた飯野さんは「欧米の最先端の企業と、日本の地方企業の間には、AIの活用度にものすごく大きなギャップがあります。それを埋めたい」と話します。

AIでの分析や施策立案の“自動化”を主なサービス内容としていますが、一方で伝統工芸という“手仕事”の支援もスタートさせました。

飯野正紀

「人間が苦労したり、煩雑だと思ったりするものは出来るだけ自動化したいと考えています。でも、人間が幾世代に渡って試行錯誤を続け、だからこそ想いを込めてひとつひとつ創り上げる作品やその技術は絶対に衰退させず、発展させたい、そしてその産地をも活性化させたいという強い思いがあります」

10月には、木曽漆器の企業と米国のミシュラン二つ星レストランのマッチングを成功させました。今後、同様のニーズが市場にあると確認できれば、B to Bのマッチングサイトを構築して、ビジネス化したいと考えています。

飯野正紀

海外を知る日本人として、日本のよいところを発信したい

飯野さんは東京都の生まれ、育ち。高校を中退後、米国・カリフォルニア州に留学し、その後は名門大学のひとつユタ大学で大学院まで数学を学びます。

「学費や生活費はほぼアルバイトで稼ぎました。まずカリフォルニア州の短大に行ったあと、お金がなかったので、お金がかからず、それでいて評価が高いユタ大学の数学科の編入を選びました。ユタ州はアジア系が圧倒的にマイノリティーの場所で、日本人がほとんどいなかったのも大きいですね。ここで認められれば、どこでも順応できると思いました」

当初は教授から無視されるなど、人種の壁も感じた飯野さんでしたが、持ち前のバイタリティとコミュニケーション力により次第に、周囲に認められていきます。そしてその経験が伝統工芸品の海外販売支援という現在の事業領域にも影響しています。

「日本の技術を伝えたいんです。日本の工芸に関わる人はシャイな人が多かったり、マーケティングをあまり知らなかったりするので、評価がなかなか海外に広がっていかない。でも、自分のような、マーケティングに関する知識と経験が豊富で、前に出るタイプの人間が応援していけば、良さは必ず伝わると思っています」

飯野正紀

帰国後は大手デジタルマーケティング企業などを複数社経験し、その領域でスキルと人脈を築いていき、2018年に満を持して起業しました。上述の伝統工芸品の分野は「まだまだ始まったばかり、これからです」と話しますが、そのまなざしは自信に満ちています。

あこがれの地で触れた人のやさしさ

最先端のデジタルマーケティング企業が、創業の地として長野市を選んだのは、飯野さんの強い思いによります。「ひとつは過疎化や職人の高齢化を止めたいという思いから、地方で起業したいと思っていました。もうひとつは、子どものころからの長野に対するあこがれです」と飯野さんは話します。

中学生のころ、学校の旅行で安曇野を訪れた飯野さん。その風景と食べ物のおいしさに感銘を受け、社会人になってからも毎年、その魅力に触れてきました。

そして、起業の準備を始め、長野県の中でも東京からのアクセスが良く、県庁所在地であり、行政と連携のしやすい長野市への移住を現実的に考え始めたころのこと。創業支援を受ける相談のため、長野市役所の移住・定住デスクで相談に訪れたところ「ここに決めた」と思わせる出来事がありました。

「相談員の方におススメの蕎麦屋を尋ねて、あるお店を教えてもらったんです。そして、その店に向かう途中、携帯が鳴りました。『課内で相談したら、先ほどお伝えしたお店がどうも味が落ちているらしいんです。みんなにおススメを聞いたので、他のお店を4つほどご紹介します』という電話でした。なんて優しい人たちなんだ、と感動しました」

現在のクライアントは東京が主。これから長野県を中心とした地方企業との関わりを深めていこうと考えていますが、長野にこだわり続けるつもりはありません。「長野でモデルケースを作ったら、次は北関東など、別の地方都市でも同様のサービスを展開したい。5年後はどこで何をしているでしょうね」。そう語る飯野さんの表情は希望に満ちていました。

飯野正紀


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