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#11

to be architect香川翔勲さん

兵庫県出身
to be architect 香川翔勲さん
長野でよかった! Kagawa's Voice

善光寺門前界隈は、学生の頃から通っていたこともあり、歩きながらあいさつができる環境で、気に入っています。野菜や果物をいただくことも多く、東京に比べて生活費はかかりません。休日には子どもと散歩したり、小布施などに気軽にドライブで行けるのも楽しみです。

Profile

兵庫県神戸市出身。高校卒業後、建築を志し、信州大学工学部へ入学。学部と大学院修士課程の6年間を長野市で過ごす。大学院修了後は東京の組織建築設計事務所へ入社。競輪場や競馬場、展示場など大規模な建築の設計を担当。多忙な日々を送りつつも、結婚・妻の妊娠を機に、独立願望が芽生える。2015年秋に長野市への移住を決意。2016年にto be architectを設立。

移住までの道のり

2012信州大学工学部大学院を修了後、東京の設計事務所にて勤務
2013結婚
2015一級建築士資格を取得。秋、会社を退職し、長野へ移住
2016建築士として開業
2017春「カネマツ」に入居

長野とのご縁

長野市東町。「えびすさん」で有名な西宮神社の近くに、カネマツという建物があります。知る人ぞ知るこの建物は、善光寺門前界隈のにぎわいを創出したクリエイティブユニット「ボンクラ」が経営するシェアオフィス。カフェ、古本屋、不動産屋など異業種・異世代のクリエイターたちが入居するカネマツの中でも、一番の若手として仲間入りしたのが、to be architect(トベアーキテクト)の一級建築士・香川翔勲(しょうくん)さんです。

香川さんは、兵庫県神戸市生まれ。長野市とのご縁は信州大学の学生になったことがきっかけでした。高校生の頃から建築に憧れ、大学は工学部を志望。信大を選んだのは、「たまたま、センター試験の成績で行けそうな大学だったから」という単純な理由だったそうです。学部・大学院時代を、自然豊かな長野で学び、人生の土台を作った香川さん。

卒業後は、東京の組織設計事務所に就職。最初の2年は、競輪場や競馬場の設計、次の2年は事務所や展示場など商業建築の設計に携わりました。仕事に忙殺される日々を送りながらも、こつこつと勉強を重ね、一級建築士の資格を取得。その間、学生時代からの仲だった奥さんともめでたく結ばれました。

「朝起きて、会社へ行き、終電で家に帰る毎日。こんな生活でいいのかという思いが、強くなっていました。」

と振り返ります。資格だけの建築士ではなく、実際に「建てる建築家」でありたいとも思うようになったといいます。

その後、新しい命を授かった香川さん夫婦。長野市出身の奥さんは、妊娠がわかると「わたし、長野に帰る」と言って、香川さんより一足先に、長野へUターンに踏み切りました。

香川翔勲

建築家になるために

「東京だとベビーカーで電車に乗ったりするのが大変だし、子育てする環境としては長野の方がいい、という家内の言葉には説得力がありました。幸い、家内のおじいちゃんの家が空き家になっていて、家賃の心配もなく長野市内に住めることになったんです。」

2015年に会社を退職し、フリーランスの建築士として長野市での生活を始めた香川さん。

当初は、中央通りにあるCreeks(クリークス)コワーキングスペースを利用して、建築設計の仕事のほかに、家具デザインの仕事を始めました。

長野県産の針葉樹を使い、工具を使わずに組立てられるテーブルを考案。「tectonic」というブランドを立ち上げ、インターネットで販売することに。その際の、広告・販促費を賄うために、長野市の補助制度「移住者起業支援金」を活用しました。

Creeksでは、建築士同士の横のつながりもでき、現在のクライアントにもなっている人との出会いにも恵まれました。その後、カネマツを運営するボンクラの広瀬さん(広瀬建築設計事務所)に「空きが出たから、入らない?」と誘われ、カネマツに入居しました。広瀬さんとは、信大時代の講師と教え子という関係だったそうです。

現在は、建築の仕事も軌道に乗り、tectonicのテーブルも、新しい展開を考えているという香川さん。屋号“to be architect”の言葉には、自身の名前にある「翔ぶ」という意味、そして、建築家になりたいという初心がしっかりと込められています。「自宅の改修は、後回しになっている」と、笑いますが、きっと素敵な住まいとなるに違いありません。

香川翔勲


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