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#08

小田切電設代表小田切隆一さん

東京都出身
小田切電設代表 小田切隆一さん
長野でよかった! Otagiri's Voice

ちょうどいいサイズ! 移住者を珍しがらずに受け入れてくれ、大都会と違い、顔の見える距離感で仕事ができる土地だと思います。自然の中に遊びに行くのも、おいしいものを探しにいくのも、手頃な距離にバリエーションがあって疲れることなく楽しめています。

Profile

東京都出身、一番長く住んでいたのは中野区。41歳まで電気工事士として働きつつ東京で過ごし、2009年、長野市にあった祖父母宅の倒壊の危機に瀕し移住。

移住までの道のり

1968幼少期は、祖父母宅があったことから長期休みは長野市へ
2002祖父母宅倒壊危機のため解体か改修かを迫られる
2009改修を決意し、長野市に移住
2010仕事の都合上、半年遅れで妻も長野市に移住

祖父母宅の倒壊危機を機に長野へ

近年、善光寺門前町では、長らく空き家だった古民家をリノベーションして新たな店を始める若い人たちが増えました。そうした店の電気工事を中心に改修を手がけ、店主と一緒になって店を造りあげているのが小田切隆一さんです。

小田切さんは東京生まれの東京育ち。しかしながら父親は長野市出身で、小さい頃から「いずれは実家の家と墓を継いでほしい」と言われていたそうです。とはいえ仕事は忙しく、プラントの電気工事士として全国各地を飛び回っていたある日、空き家になっていた祖父母宅が大雪によって倒壊の危機にさらされたことから、様子を見に長野市へ。そこで「潰すか、お金をかけて直すか」の選択を迫られ、前々から「今とは違う生き方をしたい」という思いもあったことから、2009年暮れに長野市に移住しました。

小田切隆一

地域に溶け込む姿勢が実を結び

移住した当初から、電気工事士という職業を生かしつつ、やれることは何でもやる“何でも屋”になろうと考えていた小田切さん。地域の高齢化が進行していることから、電球交換や古くなった棚の据え付けといったニーズはあると思っていました。しかし、いざ“何でも屋”業を始めると需要は予想以上。瞬く間に忙しくなってしまったそうです。その背景にあるのは、地域の祭りやイベントなどに積極的に顔を出す小田切さんの前向きな姿勢と気さくな人柄。自然と、徐々に門前町で開店を予定する若者からも頼りにされるようになりました。

小田切隆一

地域に入っていく覚悟さえあれば

今後は、リノベーションで盛り上がる長野市の様子などをさまざまな形で若い世代に伝えていくイベントや活動ができたら、と話す小田切さん。特に長野市に移住しようと考えている人に対し「スキルや就職先を心配するよりも、地域に入っていく覚悟さえあれば何とかなる」ということを伝えたいと言います。そんな小田切さんの今の暮らしは、東京にいた時と比べてずっと豊かだと感じているのだとか。移住にはさまざまな不安がつきまといますが、小田切さんの笑顔を見ていると「きっと大丈夫だよ」と背中を押されるような気分になります。

小田切隆一


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